その一 引揚げ列車
引揚げの朝

満州の初夏は一斉に 淡い緑色の若葉でおおわれる
木々の違いによって空気の香りが異なった
土の匂いも季節によって特徴があり初夏は馬糞の様な匂いがした
引揚げの朝 皆は落ち着いていた
それは つまり 戦後の悲惨な出来事を経験して生き残った人達だったから
もう何回も日本に引揚げると宣告されて何回も裏切られていたから
そして もうシンキョウには引揚げて行くために待機している人々は僅かだったから
あわてなくても自分達しか もう 居なかったわけだから
引揚げの朝 私のリュックにはカンパン類の非常食・着替えの下着や服
腹巻に数枚の十円札や一円札等の紙幣を入れ
飯盒はリュックにくくりつけ水筒は肩から提げていた
首から三合程の米袋をぶら下げさせられた
それは 死ぬ事が分かった時に焚いて握り飯にして食べる為の米だった
どうせ 匪賊に襲われるにちがいないからと 皆 比較的簡素な格好だった
でも なかには色々な家財を売って高価な宝石類に変えて
服のあちこちの隠しポケットにしのばせていた
また 歯を金歯にかえてしまった人もいたそうだ
中国の友達が食べ物を色々土産にと持ってきてくれた
陳君は私の好きな乾麺をリュックのポケットに入れてくれた
中国の子供達は皆涙ぐんで私を見送ってくれた
『大人になったら必ず富士山を見に日本に行くからね サヨウナラ』
私の引揚げた後のアパートの部屋は陳君達が入る事になっていた
だから 私の思い出の机や本・ハーモニカ・写真は大事に預かって置くと言ってくれた
大人達は無事日本に帰りつく事が出来ればと悲壮感にも似た思いがあったに違いない
でも 子供達は違っていた
終戦直後のロスケの侵略そして内戦時代を過ぎた今は平和だと思っていた
引き揚げの途中の何箇所かで待ちうけているという匪賊が凶暴化している中
無理して日本に帰らなくてもと言う感情もあった
満州の生活、引揚げ記より

何か割り切れないままシンキョウ駅に向かった
駅に着いたけれど汽車と名の付く乗り物は何処にも無かった
多難な引揚げの幕開けだった
大きなシンキョウ駅の廻りには引揚者があちこちから集まり
汗臭い人いきれが漂っていた
新緑のすがすがしい香りも無く空も黒ずんで見えた
私には千人とも思える日本人だけが黙って指示を待つ姿は異様に見えた
引揚げの第一関門

戦時中 私の知っている満州のシンキョウ駅はレンガ造りで重々しく堂々としていた
そして 特急アジア号や沢山の貨物列車が勢い良く汽笛を鳴らしていた
駅員も大勢いて多くの乗客の間を忙しく動き回っていた
何時も発車のベルや機関車の蒸気音が絶えない活気の有る駅だった
でも 今引揚げのためにやって来たシンキョウ駅は外観は変わらなかったが
静かで貨車はおろか機関車も見当たらなかった
そのうえ 人影もまばらで電灯の光も薄暗く不気味な感じだった
其れは私達の今後を暗示しているようで不安な気持ちになった
今まで日本に引揚げて行った人達は匪賊に出会う事が無く伝染病にかからなければ
先ず貨物列車に乗せられて数日間かけて港に着き
かなり大きな船で日本に向かうとの事だった
でも 其の時々の状況によって違った方法で帰国させられるので
無事に帰国できるかどうかは運が良いか悪いかと言う事らしかった
間も無く私達は住んでいたアパートごとに振り分けられ
シンキョウ駅のホームから線路伝いに歩かされた
枕木の間隔が不揃いでレールを固定する鉄の鋲も錆付いていた
歩きながら枕木の数を数え初めて千五百位になった時
平たい板を置いただけの貨車が見えて来た
それは 材木の丸太を載せて運搬する貨車だった
其の貨車だけが何台も何台も連結されていた
乗車せよ!命令が列の前の方からだらだらと伝わって来た
屋根も無い囲いも無いこんな貨物列車に乗せられるとは誰も想像していなかった
私達の集団は大人と言っても軍服を着て兵隊に変装した母親達とその子供が殆どだった
成人の男と言えば身体に障害の有る人達でシベリヤ送りを免れた民間人だ
でも其の人達が集団に指令を出していた
大人達は貨車の縁に背中を内側に向けて座り囲いの中に子供達を入れた
私も大人扱いされ貨車の縁に座り隣の人とスクラムを組んで人間の壁を作らされた
絵入りエッセイより

それから どれだけ時間が過ぎたか分からないが出発する様子は無かった
夕方近くになって前方の貨車から宝石や貴重品と思えるものを貨車ごとに提出せよ
もし其の要求に応じなければ機関車を連結しないと言う連絡がきた
機関車の運転手は日本人ではなく中国人だから逆らわない方が良いとの指令
運転手は 今迄 何回も引揚者を輸送してきたベテランだが
それだけに質も悪かったようだ
私の貨車からは幾らかのお金が供出された かなり時が過ぎて
貨車はゆっくり動き出した 其れは前途多難な引揚げの開始だった
オシッコが降ってきた
満州時代の特急アジア号の機関車から出る煙の匂いは何となく旅のロマンを感じさせた
でも 人間の柵で囲まれた盤上の引揚げ列車の煙はもの悲しく不安な匂いだった
ノロノロと走る機関車は幾度となく停車寸前と思われる程の超スローだった
『まだまだ 運転手に御礼をしないと駄目だ これは嫌がらせだ』
「でも 最初からご機嫌を取ると次から次に要求して来る事になり後が怖いぞ」
『だからと言ってこのままだと 間も無く夜になるし危険だ』
「そうだな 日本に確実に帰れるかどうか見当もつかない訳だから仕方がないか」
この言葉に対して全員の不安が渦を巻いて流れた 一瞬の沈黙があった後
『皆さん 今後私の指示があったら供出出来る物を用意しておいて下さい』
今迄 顔を見た事も無いやせて国民服を着た男が命令口調で言った
そして 貨車から貨車へ小声で連絡しながら機関車の方に向かって人の群れをまたぐようにしながら去って行った 間も無く汽車はスピードを上げた
暗い夜が来た
眠くてウトウトしてくる すると スクラムを組んでいる腕の力が無くなる
レールの継ぎ目を通過してゆくゴトンゴトンと鳴る音がネムレ!ネムレ!に聴こえて来る
‘眠ると危ないから 皆で大きな声で歌を唄いましょう 軍歌は駄目よ!’
暗くて顔などは分からなかったけれど若いお母さんが皆に呼びかけて歌い始めた
“ハルコオロオノ♪♪ ハナノエン♪♪ メグルサカズキ カゲサシテ……”
朗々とした歌声に皆一緒に歌うのを忘れて聞き入った
この人の唄う歌は日本に引揚げて来る間に色々な場面で聞いた
そして 皆は慰められた
“ウサギオイシカノヤマ♪♪コブナツリシカンカワ♪♪ユウメハ…………フルサト♪♪”
涙で声が途切れたけれど大人達は本当に故郷を思い出して居る様子だった
突然 雨が降ってきた!
屋根がない貨車だから仕方がないと諦めて空を見ると星がまたたいていた
「誰だ!ションベンをかけたのは!」
〈ゴメンナサイ御手洗いがないので飯盒で取って可なり力一杯遠くに投げ捨てたはず
だったのに 今後はどうしましょうか?教えてください!〉
皆 黙ったままだった
私はスクラムを組まされてはいたが未だ子供なので安全な場所に居た
つまり すべって落ちそうになっても大丈夫な貨車と貨車の連結器のところだったので
(この次から投げ捨てるのではなく貨車の連結器のところから流して捨てたら?)
誰からも返事はなかったが 結局 私の言った通りになった
何かうら寂しく むなしい思いを乗せて引揚げ列車は闇の中を走った
匪賊は出なかった
引揚げ列車は何処を走っているのか分からなかった
コウリャン畑の向うは何も見えなかった ただ青い空に白い雲が色々な形で浮かんでいた
満州の平和な時代を過したカイゲンの様だった
列車は何時も匪賊が出ると噂される場所に来ると停車した
それは 何故か ゆるやかな昇り坂の所だった
そして 国民服を着たやせた男が供出物を集めて機関車の方に向かって去って行く
やがて 汽車は動き出す其の繰り返しだった
やっぱり停車した!
その時 汽車はコウリャン畑が切れた原野の昇り坂にさしかかっていた
それぞれの貨車には責任者が出来ていた
殆ど男の人達だったがシベリア行きを免れた老人や身体に障害者のある者ばかりだった
でも 皆は頼りにしていた 示し合わせていたのだろうか
汽車が止まると同時に数人の男達が機関車に向かって急いでいた その様子から
国民服の男に分からぬように用心しながら身を潜めて行動している事はすぐに分かった
国民服の男は何時もの口調で言った
『此処は特に凶悪な匪賊が出る所です最後の難関です 自分の事は考えず皆一緒に日本に帰りつく事だけを考えて可なりの供出を御願いしますよ』
「コウリャン畑もないこんなに見通しの良い場所の何処に匪賊が居るのですか!」
『この汽車が登りきった丘の向うに潜んでいます』
「もう貴重品はみんな貴方に差出しました何も有りません」
『ぐずぐずしていると汽笛の響きで匪賊がやってきます時間が無いのです早くして下さい』
供出せよ! しない!の繰り返しが続いた
やがて 機関車の方から”もう石炭が無くなっている運転手も逃走した!”と叫びながら
男達が帰ってきた やせた国民服の男は一目散に逃げた
皆は追いかけようとしなかった
満鉄にいたと言う人が【石炭さえあれば運転できるのに】
と誰に言うともなしにポツリと言った
私達は明日から歩いてこの広い原野を抜けなければならぬのかと思いながら
五十名程に分かれ円陣を作って夜を迎えた 結局 匪賊は出なかった
初めから国民服の男と機関車の運転手との共謀だったのだ
“明日は死ぬぞと決めた夜は 荒野の風も生臭く……♪♪”
私は敷島国民学校の音楽の時間に習った軍歌を口ずさんでいた
確かに荒野の風は身にしみた非常食のカンパンも残り僅かになるし心のゆとりも無かった
でも 明日からはもう動かない機関車を見ながら皆と円陣を組むと
なぜか妙に落ち着いた気持ちになっていた
その二 荒野の逃避行
星空の下で
地平線だけがハッキリと分かる草原とも荒野ともつかぬ小高い丘から見る夜空
赤 青 橙 黄 白 色とりどりの大小さまざまな星が瞬き綺麗だった
深夜なのに明るく感じた
《匪賊だ! 匪賊だ!》
円陣を組んで寝ている集団のあちこちからささやき声で伝令が飛んだ
恐怖心は全く無かった
貨車の中で殆どの貴重品は供出して何も残って居なかった
皆 僅かな着替えと汗まみれの首から提げた米袋だけだった
やがて
『匪賊ではなかった 日本人の子供を譲ってくれと交渉に来た連中だった』
「男の子が欲しいと言ったのかそれとも女の子か?」
『そんな事聞けるものか!駄目だ!と言ったらまた来ると言って帰った』
「本当に匪賊ではなかったのか?銃やピストル 刀は持ってなかったか?」
『持ってなかったと思う』
「また来るって 何時頃だ!我々が飢えるのを待っているのか!」
『いいや 地図を見せると港に出る方向を教えてくれた そして 子供連れでは無理だとも言っていた 我々は匪賊ではないが匪賊も出るし 今までの日本人の引揚者が何人も餓死した場所もある 子供だけでも助けた方がましではないかとも言った また コウリャン畑の中を通るのは昼より夜の方がいい 星を頼りに歩かないと迷ったら全滅してしまうと言っていた』
「信用できない!今は未だ子供も起きているし話は明日だ!」
かなり長い沈黙の後で私の隣に寝ていたお母さんが四歳ぐらいの眠っている女の子に向か
って
‘無事に帰れるかどうか分からないなら あんただけでも助かるのなら…’
とつぶやく様に言った
「馬鹿を言っちゃ駄目だ!一緒に日本に帰るのだ!」そんなセリフを私は期待した
でも 星空の下では沈黙が続くだけだった
重い空気が漂う中で子供達は殆ど寝ていなかった事を親達は知っていたのだろうか
子供達も非常食のカンパンは無くなるし
親が自分の食べる分を子供に与えて呉れている事は充分知っていた
そして 無事に日本に帰れるはずが無いとも思っていた
胸に大事にお守りのようにぶら下げている米袋の米をご飯にして食べたら
死ぬ時だと言う事も分かっていた
コンペイトウの様に色とりどりに瞬く星を見ながら
夢の無い夜がふけて行った
夢か幻か
コウリャン畑で寝転んで居ると未だ実をつけていない青い穂先が揺れていた
ポッカリ浮かんだ白い雲を見ていると 私はウトウトしながらよく夢を見た
『満人部落が全滅したそうだ』
「毒ガスを使ったのか?」
『イヤ 今度は毒饅頭をばら撒いたらしい』
「どんな毒だ?」
『チフス菌が入った饅頭らしい』
「伝染したら我々も感染するぞ」
『イイヤ その心配はない 奴らの部落は高い土塀で囲まれて出入り口は一箇所だから』
「土塀を乗り越える事もあるだろう?」
『乗り越えてくる奴は待ち伏せして片っ端から撃ち殺すらしいから大丈夫だ』
「女も子供もか?」
『勿論だ!』
『そんな事を言うと憲兵から銃殺されるぞ!』
「そう言えばねずみにペスト菌を感染させて満人部落に放したら可なりの満人が死んだらしいな そんなことまでするなんて日本もいよいよ武器がなくなったのか?」
『そんな事を言うと憲兵から銃殺されるぞ!』
シンキョウの大きくて高い忠霊塔の前で国民服を着た大人が話していた
私は息苦しくなって目を覚ました
また 夢だ でも思えば 其れは私が国民学校の遠足に出掛けた時
実際に国民服を着た大人達が話していた事だった
引揚げ列車が動かなくなってから私達は夜 星を頼りに歩く日々が続いた
空腹と疲れからめまいがした
昼間は匪賊から身を隠すためにコウリャン畑の中に潜んでいた
そんな時に見る夢は過去の現実的なものが多かった
皆は匪賊 匪賊と恐れるが私には戦時中日本人に虐められた満人達の仕返しに思えた
大人の責任を子供が負う事に腹が立っても居た
だから こんな苦労をしてまで日本に帰るのが馬鹿らしくなった
夜の狼の遠吠えも日本人を呪っている様な恨めしそうな声に聴こえた
気のせいか夜が明けると隊列の人数が少なくなって居るように思えた
飢餓状態になると幻を見た
私の横にサイパンで玉砕したはずの前原軍曹や金子少尉が一緒に歩いていた
ニッポンに帰ろう 一緒にニッポンに帰ろうと言いながら
コウリャンの穂に実が無いのが恨めしい日々は続いた
逃亡兵
朝日がコウリャン畑を赤く染めていた
赤い朝焼けを背にして黒い人影が近づいた
『我々も合流するか?この団体に』
「そうだな 何時まで逃げても見つかればそれまでか!」
『でも この団体に日本軍の逃亡兵が紛れ込んでいる事が分かると奴ら皆殺しにするぞ!』
「その時はいさぎよく名乗り出て我々がシベリヤに行くまでだ」
『子供達まで巻き込みたくないが仕方がない』
話し声がだんだん大きくなって私の近くを五 六人の男が通って列の先頭に向かった
汚れた支那服を身に付けていたが靴は軍靴だった
間も無く逃亡兵達が合流した事が分かった
逃亡兵達は港の方角を知っているらしく私達はコウリャン畑を抜けて
隠れる物の全く無い荒野に出て歩いた
今までは方角に自信が持てなかった団長も不自由な足を引きずりながら歩いていた
その表情に明るさが戻った様だった 私も空腹を忘れて歩いた
夕方 久し振りに建物が見えてきた兵舎の跡らしい板塀で窓枠も有る
一行は急いだ
兵舎の中は板張りが残っている所と土間になって居る所が有った
壁には薄く消えそうになっていたが消し炭で書いたと思われる色々な字が辛うじて読めた
日本と言う字がかなり有った
【全員の無事帰国を祈る 〇〇〇開拓団】
【〇〇部隊の山田〇等兵へ連絡】
【〇〇で待っている 早く会いたい】
逃亡兵がしんみりした口調で言った
『此処は引揚げが始まった頃団体が必ず宿泊した施設の一つだった でも 荒れたなー』
そして
『満人達がやって来た時俺達がいるとまずいから また明日』と言い残して
夕闇にまぎれて何処かに出て行った
此処は 今迄の引揚ルートの中の宿泊拠点の一つだったらしい
私達は久し振りに屋根の下で寝た
中国人達はやって来なかった
思えば引揚げの青空天井の貨車でも 荒野やコウリャン畑でも不思議に雨に会わなかった
ちっちゃな金平糖を舌の上で転がしながら私は思った
ひよっとすると最初に引揚げた開拓団の人達が大変苦労したとの噂は嘘で
実際は 後で引揚げる者の方が危ない目に会って居るのではないか……
朝になっても逃亡兵は何故か戻って来なかった!
遂に子供を売る
朝 引揚者収容所になっていた兵舎の便所に行った
便所の建物は無く 溝に何本もの丸太が渡してありそれをまたいで用をたした
男女の区別は形だけだった
私がしゃがんでいる時 隣で用をたしている大人達が話していた
『今朝は元日本兵が戻ってくるのが遅いと思ったら逃げたらしい』
「まだ この時間じゃハッキリした事は分かるまい」
『いや 彼らは昔の癖で時間はキッチリ守るから 多分間違いないと思う』
「また 羅針盤のない行軍が続くのか?」
大人達の予感は的中した逃亡兵達は戻って来なかった
それからの道中は身を隠すコウリャン畑はなく 荒野の真っ只中をひたすら歩いた
所々に昔日本人が住んでいた廃屋が点在していたので其処で休憩しながら歩いた
着の身着のままの引揚者の行列には匪賊も愛想が尽いたのか寄り付きもしなかった
若い女性や子供達がさらわれるのを警戒するにはコウリャン畑だと引っ張り込まれるから
かえって人目に付く荒野をかたまって行軍する方が安全だった
夕方 何軒かの廃屋に分かれて寝る事になった
『満人が来た!』
「子供を置いて行けと言っている」
私のそばに居たお母さんがひょろりと立ち上がると
【ウチの子を連れてってください でも 少し時間を……】
と言って首から提げていた米を飯盒にうつし三歳位の女の子の手を引いて其の場を去った
間も無く ご飯の炊ける匂いがした 暫らくしてお母さんが一人で帰って来た
目は虚ろだった
【あの子さえ育てば私はいいの 日本になんか帰れるものですか】
皆は分かっていたとは言え呆然としていた そしてしばし無言だった
お母さんの手にはお金が握られていた
『子供を売ったのか!なんてひどい親だ!』
「お金を貰っても何も買えやしない 子供さえ助かればそれでいいのよ」
お母さんは子供の身の回りの物を持って出て行った
その後 置いたままにされた紙幣が風で飛ばされ闇へ消えた
「奥さんの後を追いかけないと自殺する!」
私も一緒に飛び出した
お母さんは放心状態で座って居た
【これでいいの!これでいいの!これでいいの!生きてちょうだい】
皆泣いた 永い悲しい夜の始まりだった
生きて欲しい
満州の夕日は赤い 全ての物を茜色に染めた
平常な時だと茜雲は浄土を思い起こさせるのだろうがすさんだ心を洗ってはくれなかった
その日の夕方近くになると荒れ果てた建物にたどり着いた
今までどれだけの引揚者達を収容して来た建物か分からないが
不思議とそんな建物が引揚げのための目印にもなっていた様だ
皆は 殆ど日本に帰る事をあきらめていた
特にお母さん達は夫がシベリヤ送りになりその生死すら定かでなく不安は募るばかりだった
今は 子供の為だけに生きなければと思って居るみたいだった
その一方で こんな当ての無い行軍をするより
子供だけでも助かってくれゝばと願う日々が続いて居た
夕方 また 飯盒で炊くご飯の香りがした
暫らくして不安になった私は様子を見に行った
三歳ぐらいの男の子が土塀にもたれて握り飯を頬張っていた
私はそのそばに近寄ろうとした
その時
『行っちゃ駄目!』と低い声だが強い口調で命令された
私もそのお母さんと建物の影から見守る羽目になった
お母さんの背中に覚悟めいた凛としたものを感じた
坊やが握り飯を殆ど食べ終わる頃人影が近付いた
満人の男だった
優しく抱っこして母親が隠れて見つめている建物の方に向かって坊やを見せて去って行った
暫らくして【カアチャーン! カアチャーン!】と坊やの泣き声が聞こえてきた
今まで満人の男に連れて行かれるのを覚悟していた母親が言った
『元気で暮らしてね お母さんと一緒に居ると死を待つだけだから』
そして 私に向かって
『あの子も貴方ぐらいに大きければ良かったんだけど もう これが限度ね』と
同意を求める様なしぐさをして去って行った
その晩 二段ベットのようになっている木枠の中で私が寝ていると
下の段でヒソヒソと中国語で話しているのが聞こえた
『大事に育ててね』
[分かっている 男の子だし立派に育てるから安心してくれ]
『お金なんていらない 私達は間も無く行き倒れに成るはずだから』
[日本に帰れたらまた会いに来ればいい 其の為の金だ]
『帰れないと分かっているからこの子を御願いしてるの』
子供だけでも生きて欲しい そんな場面が増えてきた
汽笛だ!
地平線から赤い朝日が昇り地平線に赤い夕日が沈む
毎日 コウリャン畑から草も無い荒野 そして 廃屋を目指してもくもくと歩く
今日が何月何日で何曜日か全く分から無い
初めは身に着けていた鍋・釜・飯盒も必要が無くなり汚いリュックだけになって居た
私も陳君から貰った乾麺をゆでて食べた後 鍋は捨てた
あの乾麺の味は忘れられない
只 ゆでただけだったのに香りが有って甘くて表現の仕様が無いほど美味しかった
子供達で少しづつ分け合って食べた
陳君の事が思い出されて懐かしかった
中国の人達は終戦直後は日本人に冷たかったしいじめたりもした
でも 時が経つに連れて色々と親切にしてくれたし心は温かかった
だから連れて行かれた小さな子供達も大事に育てて呉れるような気がした
それに比べて日本人の中には冷たい心の人も居た
エッちゃんは私より一つ年上の女の子で目が大きくて可愛かった
でも 膝小僧から足首にかけて一面おできができていた
勿論 薬も無かったので なかなか治らなかった
エッちゃんのお母さんは
「あたしにうつさないでよ 汚らしいあんたが男の子だったら連れっててもらうのに」
エッちゃんはそんな言葉になれていた
黙っておできのかさぶたを取りながらうつむいていた
そしてポツンと一言『まま母なの』と言った
かなりの人は胸から下げていた米袋も無くなり
‘あきらめ’と’いらだち’との入り混じった感情の中だったので
私とエッちゃんの会話など眼中に無かった そして また惰性で寝るだけの夜が来た
翌朝 かすかに【ボー ボー】と汽笛みたいな音が聞こえた気がした
皆も建物の外に出てザワザワと何事か話していた
『アリャー船の汽笛だベェー』
『そんジャー港が近かとカァー』
私は満州に来て耳にしていた言葉は標準語で東北弁や九州弁等のお国言葉は聞いたことがなかった だから この時 如何に皆が興奮していたかが分かる
『皆起きろ!港が近いぞー 急いで出発だ!』
興奮した顔 顔 顔 汽笛みたいな音はそれっきり聞こえなかったが
皆 藁にもすがる思いだったに違いない
でも そんな雰囲気の中で子供を連れて行かれたお母さん達の呆然としている姿が
私には残酷に写った
海だ!
朝は完全に明けた
今朝の朝日は早足で歩く人達の土ぼこりで橙色に見えた
気が付くと何時の間にか隊列ができていた それは
何時か居なくなったはずの逃亡兵達が戻ってきて引揚団の指揮を執っていたからだった
その一人がエッちゃんのお母さんに
『俺を今から日本に帰りつくまでこの子の仮の親父にさせてくれ 頼む!』
と咳きこみながら話していた
「いいわよ」エッちゃんのお母さんは答えていた
こんな会話があちこちで有り逃亡兵の仮の家族ができた
くわしい理由は分からなかったが逃亡兵と分かるとまたシベリヤ送りになるらしかった
何時の間にか廃屋は姿を消し久し振りに人家が見えてきた
路地を歩いていくと潮の香りがした
海だ!
とうとう海岸にたどり着いた 此れで日本に帰れる
良かった!
塩の香りと共に油の匂いもして来た
桟橋に鉄の大きな船が繋がれていた
でも 私は急に不安になった
港がシンキョウ駅に見えてきた
また天井の無い貨車と同じ様におよそ人間が乗れる船ではないと思った
そして 運転するのがまた不良中国人 船員は悪徳日本人
油くさい建物で待たされている間中いやな予感ばかりがした
もう騙されないぞ!疑心暗鬼になっていた時
突然 『女の人が飛び込んだぞ!自殺らしい』と怒鳴り声がした
一瞬の沈黙の後『アァー……』と叫びながら走り出した女の人が居た
子供に握り飯を持たせ中国人が子供を連れていってくれるのを建物の影から見送っていた
あのお母さんだった
逃亡兵がお母さんをガッシリと受け止めていた
『私だけが生きて帰れない 子供を置いて帰れない 死んでやる 死なせて』
半狂乱だった 其の後あちこちで同じ様な光景が見られた
『我々の船は上陸用舟艇らしい』と逃亡兵のお父さんが言った
ホラ!やっぱり とんでもない事が待っていると私は思った
『船長や船員は全員日本人らしい 明日早速乗船らしい 何か急いでいる訳が有るらしい』
此処まで来てまた不安な夜が来た
乗船前

潮の匂いと油の匂いが混ざり合った建物での一夜は寝苦しかった
夜明け前 ドラム缶の転がる様な音がしたので私は一人で外に出た
桟橋には鉄の固まりみたいな大きな船がズシーンと泊っていた
私はそこにいた日本人の船員と思える人に声をかけた
「この船の船員さんですか?」 『そうだよ 坊やたちが日本に引揚げる船だよ』
「旅客船ですか?」 『いいや 上陸用舟艇だよ』
「上陸用舟艇?人が乗れるの?」
『乗れるよ 船室は無いけど船の中は二段のフロァーで広いゾォー』
「この船は出港を急ぐと聞いたのだけどどうして?」
『ソ連に戦車を200台搬送しないといけないのでできるだけ早く引揚者を乗せないと…』
其処まで言うと船員は帽子を脱いで長く垂れ下がった髪の毛をかき上げて去って行った
その時 懐かしいポマードの匂いがした 私は繋留されている船の舳先の方へ行って見た
舳先は確かに扉みたいに開く様になっている事が分かった
つまり 接着されていない二枚の鉄板がただ噛み合わさっている様だった
海が荒れたらあの隙間から海水が入り込むかもしれないと不安になった
もう少し船全体が見たいと思い 舳先の所から大分歩いて振り返ると
船全体は大きなタンカーに似ていた
船の上甲板が広くて船の後部に操舵室がある様子だった
私には何千トン級の上陸用舟艇か分からなかった
引揚者の収容された建物に戻ると味噌と醤油の香りがした
先ほどの船員のポマードの匂いと共に何か安らいだ気持ちになった
久し振りにアルマイトの食器に雑炊が配られた
〈美味しいね!此れで日本に帰れると思うとなおさらね〉
〈今頃 父さんはどうしてるんだろうね シベリヤで生きてるかなぁー〉
〈日本のおじいちゃんやおばあちゃんに早く会いたいね〉
《あまり大きな声でそんな話しないで 此方では満人に子供を預けて来た人が
雑炊も口にしないで人も居るのよ》
〈誰も無事に港に着くなんて思っても見なかったし仕方がないじゃないか〉
《よくもとそんな事が居えるわね》
色々と騒がしく食事をしていた その時 船員さんが来て
『食事が終わると順番に乗船してもらいます 大分時間が掛かると思います』
『最後まで気を抜かないで船に乗って下さい 今夜は出港パーティです楽しみにして下さい』
〈パーティだって 楽しみね!〉
皆の笑顔が久し振りに見られた
パーティは終わった
人間 風呂に入る事も無く衣服も着替えていないと可なりの不潔な匂いがするはずだが
全員が同じ状況だと平気だった 今思えば可なりの異臭がしていた筈だ
船に乗ってしまい日本に帰れると分かってしまうと 妙に皆落ち着いていた
船底の方に収容される人達が先に誘導されて乗船した
私は二階のフロアーに収容された
皆 虚脱状態になっていた フロアーは壁で仕切られても居らず丸見えの状態だった
私は気が付くと胸に痛みが有り水疱瘡が肋骨に沿って出来ていた
船に乗る前に可なりのDDTを頭からかけられていた
蚤 しらみ のたぐいは頭を中心に身体全体を這い回って居た
刺されても食われても皮膚に感覚が無くなっていたのか痒くも痛くも無かった
蚤 しらみ はDDTを撒かれると体からぞろぞろと這い出して逃げた 小気味良かった
でも 痛い水疱瘡は治らなかった 薬は何も無いのでDDTの粉を水疱瘡にすり込んだ
その日の夕方パーティが開かれた
引揚げの途中で【荒城の月】を浪々と歌い上げた女の人が船のライトに照らし出された
何故かその人は和服を着ていた
皆は夢中で拍手をして一曲歌う毎にワーワーと歓声を挙げて居た
でも 私には《イエライシャン♪♪》しか分からなかった
私は胸の痛みに耐えられず船室に下りて行った
重油の匂いがガランとした空間に強烈に漂っていた
エッちゃんがぽつんと一人で座っていた
足のおできは未だ治っていなかった
「日本に着いたら孤児院に入れるんだって 捨てられるんだヮ」
寂しそうに笑いながら言った
「あたしも男の子だったら良かったのに」
私は以前 兵隊さんから海の水は傷に効くと聞いた事を思い出した
エッちゃんを誘って甲板に上がりパーティの照明を調節していた船員さんに言った
「僕達できものができたので海の水で洗いたいんだけど」
『俺は今 手を放せない お前見てやれ』と別の船員に声をかけた
かなり若い船員さんが機関室みたいなところに連れていてくれた
『此れは いかん』 と言って エッちゃんのおできに消毒液を塗ってくれた
ジュージューと泡が出た 私の胸の水疱瘡にも塗ってもらった
冷たくて気持ちが良かった
『またおいで』と言ってくれた 朝 船は出港した
間も無くして外海に出ると船が揺れ 殆ど皆が船酔いになりゲーゲー吐いた
今度は重油の匂いにスエタ匂いが混じった悪臭が船内に充満していた
その三 引揚げ船
引揚船−その1

子供達は一晩で船酔いから解放された 大人の中でも特に女の人達の船酔いはなかなかな治らなかった 私は海が穏やかになってから船の舳先の方へ行って見た
船は何ノットで航行しているか分からなかったが 一応白波をたてて進んでいた
とにかく遅い速度だった こんな上陸用舟艇だったら魚雷の餌食間違いなしと思った
特に夜は横になって寝ているので 海が荒れていて大きな波頭に直角に突っ込んで航行する時は船底が軋しみ 身体がズシンドシンと上下に揺れた だから船酔いも酷かった
上陸用舟艇だから船底が平らな為に上下の振動がひどかったのだろう
舳先から眺めろと360度海だった 島影は全く見えなかった
海は凪ぎ 青と言うよりは紺青色で油を流したようにドロドロと果ての果てまで続いていた
雲らしい雲もなかった 本当に日本に向かっているのか不安にさえなった
突然 上甲板に人が飛び出して来た
「人を馬鹿にするのも程がある 死んでやる 私が死ねばいいんでしょう」
『誰もそんな事言ってやしないでしょう』
「いいや 皆 私の方を指差して子供を捨てた馬鹿女と言っている」
『貴方だけじゃないのよ 他にも沢山そんな人は居るのよ でも黙って耐えてるの』
「あんたは子供が大きかったから良かったけど 私は二歳と三歳の年子を置いてきた 自分だけが助かればと思ってそうした訳ではないのに 死にたい」
『あの時 誰が日本に帰れると思った?誰一人そんなこと思いもしなかった』
「ほっといて 海に飛び込ませてよ このままおめおめと日本には帰れやしない シベリヤの主人がどれ程悔やむことか」
『一つ間違えば私は子供を道ずれに死んでいたかも知れないのよ 今は偶然港までたどり着いて船に乗って日本に向かっているけれど』
「あの子達が毎晩私を呼ぶの お母ちゃん お母ちゃん って泣いてるの 忘れるなんて
出来っこない 私だけが死ぬはずだったのに」
私はこんな場面には引揚船に乗ってから何回も遭っていた そして
本当は死ぬ気も無いのにと思う人の会話も有った
しかし 子供心にも何か済まない気持ちになったりもした
中には ただ黙って布を丸めて赤ん坊代わりに抱えて子守唄を唄っている人も居た
何時か何かが起るのではないかと思える引揚船の中だった
私は「死んでやる」とか「自分の事を子捨て親と思っている」とか言って居る人達については余り心配はしなかった
夜 甲板に一人出て静かに暗い海に向かって手を合わせている人 皆と話をしながら残してきた子供の事には一切触れない人 私が”おばちゃん大丈夫”と聞くと
「坊やありがとう 大丈夫よ」と笑い顔をする人の方が気になった
船員がポツリと「自殺者が出なければいいが」言った
引揚船−その2
《私が引揚船に乗った時から かれこれ五十五年が過ぎた今 おぼろげな記憶の場面も有るが満州での戦中・戦後・引揚で体験した事は何故か鮮明に残って居る部分が多い でも
五十五年の歳月は長く〈何時・何処〉での部分に及ぶとはっきりと記憶に残っていない場合も有る 満州に関する資料は多いので調べれば簡単に昭和何年何月何日中国〇〇港より
××丸にて引揚と判明する筈だが敢て其の方法はとらず当時の少年のまま記憶を再現する事に努めた 》
今日が何月何日か船員さんに聞けば分かる事だが誰も聞こうとしなかった
そんな事 皆はもうどうでも良かった
【此れで日本に帰れる】それだけで満足している様子だった
でも 私は心配になり船員さんに何回か聞いた
「この船何時ごろ日本に着くの?」でも船員は『サァー』と答えるだけだった
出港してから時間が経つにつれて船員さんの口数が少なくなった様に思えた
エッちゃんや私に薬を塗ってくれた若い船員さんでさえ会話が続かなくなった
そんな時 船内に暗い噂が流れた
それを知らせてくれたのは エッちゃんのお父さん役を演じている逃亡兵だった
『今 満州からの引揚船でコレラが流行しているらしいコレラ患者が船内に一人でも居ると 日本に着いても上陸出来ないらしい そのコレラ患者が死ぬまで太平洋を当ても無く航行するらしい』
「この船にもコレラ患者が居るんじゃないの」
『なんで…』
「船足は遅いし 誰かが隔離されているみたい 死ぬのを待っているのでは…」
『まさか 船員にもう一回確かめてみよう』
「そんなことは直接船長に聞いた方がいいのでは」
『よし分かったそうして見よう ただし 未だハッキリした事ではないので皆に知られて大騒ぎになるとまずいからここだけの話にしといてくれ』
そう言い残して数人の大人達が船長の所に出向いた
私達は上甲板の舳先の所で待っていた やがて 戻ってきた大人達が話し始めた
『隔離しているのは若い母親で流産しかかっているからで 医者が居ないから看護婦が付きそって居ると言う事だった』
「船長がそう言ったの」
『いや 船長は直接乗客とは会わないそうだ』
「何か隠しているみたい」
其の答は直ぐに出た
私は初めて船上での葬式を経験する事となった
水葬
船は 今日も また ノロノロと何も見えない水平線に向かって航行していた
「オーイ 陸が見えるぞ!」
「日本かな?」
「馬鹿な事を言うな この船は内地の九州に向っているはずだ 玄界灘の荒波は凄いぞ」
「こんな油を流したような凪ぎではまだまだ内地は遠いのか?」
『ボー ボー』
突然 汽笛が鳴った 私達が乗船してから初めての経験だった
「何だ!何があったのだ!」
皆 それぞれ 何か不安な気持ちで上甲板に急いだ
「内地に近づいたのかな?それともコレラが出たか!」
上甲板では船員が 制服 制帽 のいでたちで整列していた
引揚者の主だった役員も固い表情で直立不動の姿勢で船員達と並んでいた
上甲板にほぼ全員集まったと思われる時に 船長が号令した
私はこの時初めてこの船の船長を見た
『英霊に対して敬礼!!』
重々しい声だった
船員が戸板の様な物の上に真っ白な布をかけた遺体を四人で抱えて船の甲板中央に進んだ
そして 板の前方を船の欄干に持たせ掛けた
追悼ラッパが鳴り響いた
軍服も帽子もかぶっていない男達が直立して挙手の敬礼をしていた
『テッ!』
船長が叫んだ
何と言ったのか私には分からなかったが『打てっ!』と言ったのかも知れなかった
多分 戦時中だと追悼の意味で砲礼と言う儀式が有った筈だから……
勿論 砲礼などあるはずも無く『テッ!』の号令で遺体を載せた戸板を持ち上げると
白い布を被せた遺体が船の欄干からストッと戸板を離れ白い布はヒラヒラと風に飛び
遺体は油みたいなねっとりとしたどす黒い海に消えた
船は遺体が落下した所を中心に ボー・ボー・ボーと汽笛を鳴らして三回廻った
そして 初めて体験した水葬は終了した
「死んだのはコレラ患者だったのか!」
「船長に聞け!もしそうなら我々は日本に帰れない!」
「ここまでやって来てオメオメと……」
大人達は騒いでいた
私は今まで厳粛な水葬をしていた同じ大人達とは思えず唖然としていた
水葬の後
私は引揚船での[水葬]を経験し 其の晩はなかなか眠れなかった
大人達も心配なのか眠れない様子だった
「コレラだったのか?」
一人が不安げに小声で聞いた
「若い船員に聞いても うつむいて 何も言おうとはしない おかしいぞ」
と答えた
「船はコレラ患者が出たら死ぬまで太平洋を当ても無く漂う事に成る」
話しているのは 途中から合流した逃亡兵達だった
「何れにしても 俺達はシベリヤ送りを免れた訳だし死者に鞭打つ話は止めにしよう」
「この引揚船も幾つかの団体が一緒になって居るわけだから引揚者同士でも誰が死んだか分かるまい 例えどの団体と分かっても皆は口をつぐんで何も言わないだろう」
それから しばらくして
「この事は俺達に対する天罰かもしれない」
ボソリと一人がつぶやく様に言った
「何故だ」
「戦時中 満人の土塀で囲まれた居住地にペスト菌を入れた饅頭を投げ入れてどれだけ経ったらペスト患者が出るか人体実験をした報いが来たんだろう」
「日本軍はそんな事をしていたのか 知らなかった」
「俺達は塩素ガスを風下の敵に向かって流した事は有るが ペスト菌は始めて聞いた」
私は寝返りをうった
「オイ 子供が聞いて居るかも知れない 話は此れ位にしようぜ」
そして 話は途切れた しかし しばらくして
「〇〇部隊長や高官連中は日本が負けると分かって いちはやく家族ともども日本に逃げやがって 所詮 馬鹿を見るのは俺達兵隊だ」
また 彼らの声はだんだん大きくなり興奮気味になった
「其れを言うな 俺の部隊の中隊長なんか前線から転進して来た兵隊を逃亡兵だ 撃てと命令して 出来ませんと 部下が答えると自分の銃で其の部下を銃殺した その中隊長は 敗戦前に日本に逃げ帰ったと聞いた」
「声が太いぞ やめろ」
私は眠っていなかったので彼らの話の一部始終を聞いていた
でも 別に驚きもしなかった 戦後 開拓団の人達からも色々聞いていたし
敗戦後の内戦に巻き込まれた時 ロシヤ軍や中国軍の中にも同じ現象を見ていた
結局 戦争は人を変える 日本もロシヤも中国も
一緒だと思った
そして 兵隊達が尊敬すべき上官達は悪だと言う事だった
エッちゃんの覚悟
引揚船は相変わらず凪ぎの海をノロノロと航行していた
「陸が見えるぞ!」の声も何か元気が無くなっていた
皆も またか! と思うようになっていた
でも 私は必ず甲板に出て行って確かめた 別に期待していた訳ではないけれど
此れまで 大きな島は見た事が無く 大概 大きな岩に木が生えている程度の岩礁だった
コレラ騒ぎは一部の人達の間では未だに続いていたが
それも もうどうにでもなれ!と諦めとも開き直りとも取れる心境を持った人が多くなった
そんな時 船の甲板の隅でエッちゃんを真ん中にして話をしている三人の姿を見つけた
私はこっそり近付いて”ワッ”と驚かすつもりだった
エッちゃんは実の母と元逃亡兵の仮の父親と話していた
「あんた日本に引揚げたら お父ちゃんの里に帰りなさい」と母親がエッちゃんに言った
「お母ちゃんはどうするの?」
「私はこの人と一緒に暮らすの」
「シベリヤからお父ちゃんが帰って来るまで?」
「いいや 今から先ズ—ット」
「………」
逃亡兵の男はうつむいて下を向いたままだった
エッちゃんの足の’できもの’はだいぶ良くなっていたが未だかさぶたは残っていた
暫らくして
「大丈夫か?」と男が聞いた
「うん」とエッちゃんは短く答えた
「東京はB−29の爆撃で焼け野原と聞くし お前はエッちゃんと旦那の里に帰れや」
「昨日の約束はどうなってるのよ」
エッちゃんは黙って立ち上がると甲板から船内へ降りて行った
「だから もう少し先になって話せば良いと言ったじゃないか」
「でもこんな事は早く話しておいた方がいいの 子供も覚悟が出来るでしょ」
そんな事があって数日が流れた 私はエッちゃんの事が心配だった
甲板でエッちゃんと出会った時
「私 お母さんと別れてお父さんの所に行くの」
「ふーん」
私は何もいえなかった
こんな母親も居るものだと思いながらもどうする事も出来なかった
日本に向かって原野を歩き続けて居た時には考えられない事だった
船の中に缶詰状態になると気が変になるのかと私は思った
日本はまだまだ遠い 引揚船は走り続けた
日本だ!!
「陸だぞ! 陸だぞ! 陸だぞ!」
甲板で沢山の人達が叫んで そして 声が途切れ途切れになり 涙声になり嗚咽に変わった
私は朝靄の中に水平線ではなく島影でもない青く霞んだ平べったい大陸を見た
不思議に涙は出なかった冷静だった
大人達は日本から満州に疎開したので故郷を見て感極まったのかも知れない
でも 私達子供は戦後の辛さ悲しさは有ったにせよ故郷は日本ではなく満州だった
だから 内心ホッとしたり ヤット着いたと思ったが 陸に向かって手を振ったり
叫んだり 泣いたり している大人達の気持ちと同じような喜びではなかった
満州の思い出の方がまだまだ印象に残っていた
そして
〈引揚途中で死んだであろう開拓団のミッキーさん〉
〈 “ワシらはいい 子供は国の宝じゃ ワシらはいい”と言ってお碗を片手に持ったまま極寒の開拓団収容所で死んでいたおばあちゃん〉
あの人達も一緒だったらな—
五等国とか一等国とか言い合って喧嘩もしたけど
〈陳君達中国の友達の顔々〉
〈”富士山を見に行くから日本に着いたら手紙をおくれ”と言った中国人のおばあちゃん〉等々
懐かしさみたいな感情が走馬灯のように思い浮かんだ 私は皆喜んでいるのに一緒にその
ポーズを取れない自分がおかしいのかとも思ったが
大人たちの中にも無表情な人もいた
それは まさか 日本に帰れるとは思わず 中国人に自分の子供を預けた母親だった
本当に能面みたいだった
でも 私は何だか救われた気持ちになった
エッちゃんの母親みたいに子供を平気で捨てる親もあるしさまざまなんだろうと思った
夫をシベリヤに取られたり 日本に帰っても帰る当ても無い人達が多くいる筈だった
〈ロシヤ軍の進駐でゲ—ぺ—ウ—のピストル銃殺場面〉
〈中国のパウロ軍とジュウケイ軍の同民族人同士が内戦で打ち合い簡単に目の前で死んでいった場面〉
そんな経験や体験をして来た人達
思えば
引揚列車・コウリャン畑や原野の行軍そして命からがらの引揚船への乗船
色々有ったけれど日本の陸地が近付いて来た
平べったい陸地が近付くにつれて 島影や 山並みがはっきりして来た
『とおちゃん カアチャン かえってきたぞ—』皆の声は段々かすれて来た
日本人は冷たい
引揚船が到着した日本の港はたしか九州の佐世保だったと思う
同じ形の引揚船がずらりと並んで停泊していた
其の一番端の方に私達の船は碇を下ろした
朝日が昇り緑の島影が鮮明になるにつれて海はあくまでも濃い紺色で
点在する島は緑に満ち満ちていた
まるで 箱庭だった
此れが日本だ!故郷だ!
朝日が昇り島の彼方此方に帆掛け舟が出て来た
始め其れが船だとは分からなかった 何か小さい笹舟みたいな物がうごめいていた
そんな感じだった
だから 私達が乗っていた上陸用舟艇 つまり引揚船はかなり大きかったのだと思う
でも 帆掛け舟 つまり漁船は引揚船の方へは絶対に近付かなかった
皆で大声を出しても手を振っても返事をしてくれなかった
「聞こえないんだろうか 分からないのだろうか」
表情は見えなかったが まるで 引揚者は招かれざる客だった
「伝染病患者が乗っている船だから つまり コレラ患者を乗せた舟だからだろうか」
「日本人が日本に帰って来て感激しているのに なんだ この冷たい態度は」
此れが 私達が感じた日本人の心の狭さを見せ付けられる始まりだった
そして 引揚者に対する差別の始まりだった
そして中国人の心の広さと比較する出来事が上陸した私の周囲に次々に起こって行った
【その事は上陸できてからの話でまだまだ先の事だが…】
私は 何故か無性に満州が懐かしくなった 日本はつまらない 何かがっかりした
確かに 同じ形の上陸用舟艇が並んで停泊している姿は異様な雰囲気に違いは無かった
隣の引揚船の甲板には人一人見当たらず不気味だった
「隣の船にはコレラが居るのかな」
「何時 引揚げて来て どれくらい此処に停泊しているのだろう」
「日本人は皆 我々をコレラと思っているのだろうか」
「日本も戦争に負けて人の心も変わってしまったのかな」
「また 穀つぶしが増えるとしか思ってないのだろう」
「この船の船員も我々と違った良い物食べてるよ’貴方達と一緒の食事です’
とか言いながら」
皆 憧れの日本に帰って来たのに 早くも 疑心暗鬼になっていた
神経だけは良くも悪くも研ぎ澄まされ敏感になっていた
そして こんな時に限って悪い方の予感が当った
『本日夕方帰国パーティを開催します』船員が告げて廻ったが 皆の顔色は晴れなかった
隣の引揚船が居なくなった
引揚船上での帰国パーティが始まった
夕闇迫る島影が綺麗だった
スポットライトの中に一人の女の人が立って居た
引揚船に乗船した日のパーティで歌った人だった
『荒城の月』から始まって童謡 そして幾つかの軍歌でパーティは終わった
乗船から幾日も幾日もかけて日本にやっと帰って来た楽しいパーティのはずなのに
皆は何故か楽しそうではなかった
「隣に停泊している引揚船の甲板に今日は人影が無かったな」
「明日上陸する為に皆が船室でその準備をしているのかな」
「何かシーンとしていて不気味だな」
「我々より早く日本に着いたはずだが何日ぐらいここに停泊したままなのかな」
「船員に聞いても教えてくれない」
パーティの間中ヒソヒソ話が続いていた
「東京はB-29の空襲で焼け野原で今バラック生活だそうだ」
「食糧事情も悪いらしい」
「田舎に故郷の有る連中がうらやましい」
私は大人達の噂話を聞きながら暗い気持ちになってきた
エッちゃんもポツリと言った
「日本になんか帰って来るんじゃなかった 上陸もしたくない」
エッちゃんの気持ちは良く分かった
上陸した途端誰も知らない田舎に連れて行かれて一人ぼっちになるのだから無理もなかった
其の晩パーティが終わっても私はなかなか寝つかれなかった
翌朝 其れも可なり早い時刻だったと思う 甲板の方から
「隣の船が居ないぞ!」
「どうしたんだ!」
「上陸したのかな?」
皆何か不安そうに話していた
「コレラが出たんだろう 可なりの速度でこの湾を出て行ったらしい」
「らしいって?」
「誰かがそう言っていた」
「………」
「コレラ患者が出ると其の患者が死ぬまで太平洋を当て所なく航行する噂は本当だったのか
皆 無言で確認し合って居るみたいだった
その日の午後 私達の船でも想像も付かない事が起こった
全員下半身裸になれ!
大人も子供も隣の引揚船が居なくなって不安になっていた其の日の午後
『全員甲板に集合せよ 直ちに 集合せよ』と号令がかかった
其の声は兵隊に上官が命令する軍隊調の響きだった
だから
「全員って女 子供もって事かしら?」と
お母さん達は不安げに子供の手を取って甲板に上がって行った
其処には白衣を着た背の高い神経質そうな40歳位と思われる毛むくじゃらの白人が数人の
日本の看護婦を従えて立って居た
良く見ると看護婦達は数十本のガラス棒を入れた丸い缶をそれぞれ抱えていた
私は此れが日本を負かしたアメリカ人かと思い白人の医者を見つめていた
すると 彼の口から’ビ クワイト’ とか ’シャラップ’とかいう言葉が唾と共に飛び出し
さらに 英語で何かを叫んでいた そして彼が一回叫ぶ毎に
アメリカ人の通訳がたどたどしい日本語で命令した
『ミンナ フクヲヌギナサイ』
『ソシテ リョウテヲマエニツイテ シリヲダシテ』
皆 初めは意味が分からなかったけれど
日本人の看護婦が
「ズボンと下着を脱いで 両手を前についてお尻を上げ肛門が見えるように四つん這いになりなさい」と説明した
「男も女も全員一緒にですか?」と若いお母さんが聞くと
看護婦は無表情に「そうよ」と言った
そして「整列!番号!右向け右!其の位置でズボンを脱ぎ足を開き伏せ!」
戦争は終わったのにまだまだ軍隊式は残っていた
初めは特に女の人達が納得出来ない感じだったが軍隊式号令には弱かった
私は列の一番端に居た
恥ずかしかったが尻を出して待った
でも なかなか看護婦がやって来ないので顔を上げた
大人も子供も男も女も裸の尻を出して何列にも並んでいた
そして列の間を看護婦達がガラス棒を肛門に突き刺し引き抜いて廻って居た
遂に 私の番になった
一瞬だった 私の肛門に差し込まれたガラス棒はその列の人達のと一緒に缶の中にガランと
音をたてて集められた 後で分かった事だがコレラ菌の検査の為だった
検査の結果が気になり そして不安が先にたち”みじめさ”や”恥ずかしさ”は忘れていた
“もしコレラ菌が発見されたら太平洋行きだ” 最近はどちらかと言うと”どうにでもなれ”と開き直りの生き方だったが 今は妙に恐怖心が沸いて来ていた
上陸できぬイライラ
コレラ菌の検査のために全員が肛門にガラス棒を入れられてから
数日が過ぎて行った
太平洋に出て行ったらしい隣の船の消息はつかめないままだった
もし検査の結果 コレラ菌が見つかったらこの船も同じ運命に遭う筈だ
皆は折角日本に帰って来たのにまるで自分達が邪魔者扱いされていると思い始めていた
そして 船内に不満と不安が渦巻いていた
色々な噂が流れた
「検査結果が出るまでどれくらい時間がかかるの?」
「分からないけど 本当に恥ずかしかった あんな格好をさせられて」
「ロスケも怖かったけど人間を人間とも思はないアメコウの奴には腹が立つ」
身を守る為男装して丸坊主にしていたお母さん達の髪の毛も大分生えてきて居た
逃亡兵達も加わって船の甲板のアチコチで話をして居た
「此れが占領軍の本当の姿さ上陸したら更にひどい仕打ちが待ってるぞ」
「上陸できてもアメコウの言う通りにしないと銃殺されるぞ」
「新型爆弾が広島と長崎に落とされて町は全滅したらしい俺は上陸しても行く当ても無い」
皆 上陸できても期待が持てないと何となく思い始めていた
逃亡兵の一人がつぶやく様に言った
「俺達も戦時中は満人を人間扱いしなかったから 其の報いは覚悟しとかにゃ」
「そうさな 戦争は勝たなきゃ駄目だ」
箱庭みたいに綺麗な日本の景色を見ながらブツブツと話していた
私も夢に描いていた日本がだんだん遠くなって行くのを感じていた
そして 学校に行けなくなってどれだけ日にちが過ぎたのだろうと気になり
「学校はどうなっているの」と聞くと
「今の日本は食べる事もままならないらしいから学校はやすみだろう」
「こんな時に のんきな事を言うな馬鹿者が」と怒鳴られた
此の頃 逃亡兵の態度が気になっていた
「俺達が居なければ此の連中も全滅していた」
「遠慮しないでもう少し早く引揚て来ていたらコレラにも巻き込まれずに済んだ」
「逃亡兵でも今は終戦だ罪をおこしたわけではない 皆から感謝されても良いはずだ」
私達は別に逃亡兵達をさげすんだり侮辱した覚えは無かった
引揚げの港に着いたとき
「どうか日本に着くまで父親として振る舞わせてくれ 頼む」と言っていた態度は無かった
日本に着いたのにコレラにはばまれて上陸出来ず皆イライラしていたのだと思う
こんな時 案外 子供達は冷静だった