終わりに
日本は戦後70年を迎えようとしている。その間、第二次世界大戦による原爆・沖縄戦・国内の爆撃、そして東南アジア諸国での悲惨な戦争体験をされた民間の方々が多く居られた。
しかし、余りの壮絶で悲惨な場面を思い出す辛さや自分だけが生き残ったと言う負い目から戦争の真実を語らないまま亡くなられた。また、神風特攻隊や人間魚雷回天の生き残りの方々は聞いても、黙して語らず亡くなって行かれた。
其の為に戦争当時の理不尽な国民への国の強権政治の有り方や陸海空軍の兵士に対する国の為に殉死する事の無慈悲さや残酷さが忘れられている。
そして、今、無謀な戦争に突入した事を正当化し、当時、国民に刷り込まれたファッショ的な思想が復活しつつある様に思えてならない。
私は当時、満州で子供心にも戦争の悲惨さを目の当たりにし、その恐ろしさを体験した。
原爆やアメリカ軍の空襲被害に見舞われ、無くなったその御家族に比べれば私の経験等、大した事では無いかもしれない。
しかし、子供の頃の体験で有るにせよ、語る義務を感じた。
卒業生から言われて分かったが、かって、私程度の戦争体験者は可なり居られたが、今は少なくなっている事に改めて気付かされた。
私は何時の間にか、満州の戦前戦後の事を話す、‘語り部的’存在になって居たのである。今さらながら平和の有難さを感謝する日本でなくてはならないと思う。
満州で出遭い戦争の犠牲者になられた方々の無念さや怒りを述べるには当時幼い小学生であった私の体験談など迫力に欠け、無意味と指摘されるかもしれない。
また、子供の眼を通して感情を込めず事実を述べただけなので、今の平和な日本での暮らしに満足した人達には物足りないかもしれない。
しかし、今、中近東やアフリカでの内戦下の子供達もそれぞれ事象は異なるにしろ私と同じ悲しい経験をしている事も現実である。
まだまだ書き足りない事も多くはあるが此の程度に止めさせて頂く。
因みに、引き揚げてからの小学校時代の話題を挙げると、
① 松露・のびる・ぎしぎし・セリ・槇の木の実・桑の実・野イチゴなんでも食べた
② ウサギを食べて飢えを凌ぐ
③ 荒れた日の朝の海辺の焚き木拾い
④ おくどさん・芋粥・銀シャリ・松葉カキ・硫黄の板マッチの思い出
⑤ 油粕を食べる
⑥ 配給通帳が身分証明書
⑦ 針を使わないウナギ釣り
⑧ ジープに乗ってやって来た、進駐軍の英語授業
⑨ 当時は大型台風上陸が多く藁葺屋根が飛んだ
⑩ 小学校の運動会が見合いの場だった
⑪ 教科書・鉛筆・習字・絵具は無かった
⑫ 農家との付き合い、コエタゴ・牛そり・田植え・牛の飼育と操り方
⑬ 漁師との付き合い、伝馬船・一本釣り・カナギ・帆立貝取り
⑭ 辻野先生からすすめられた初めての石鹸売りアルバイト
⑮ 珍しかった男女共学・黒塗つぶし教科書
⑯ 戦争の事について詳しく教える先生、全く触れない先生
⑰ 給食・遠足・帳面・芋掘り・稲害虫駆除・おこもり等奇妙な授業
⑱ 3年間転げ回って居た浜辺の漂流機雷のその後は