第三章 日本は負けた
その一 開拓団の人達
私と中国人の喧嘩
日本が負けて
日本軍の軍事物資がシンキョウの町に溢れていた
あらゆる種類の衣類や食料 缶詰 調味料 菓子 医薬品 等々
要領の良い日本人軍属の家族はそんな軍事物資を売ってかなりの儲けが有った
でも 私達のような一般の日本人はどの様にして生計を立ててよいものか全く分からない
私は母親が作った握り飯を首から紐で吊った箱に50個程詰め
「おにぎり おにぎり おにぎりはいりませんか!」と叫んで売って廻った
当時 日本人は日本人である証明のために胸に横7㎝縦10㎝の日の丸を付けさせられた
其れに違反すると処罰された
私は胸の日の丸のおかげで握り飯を詰めた箱をひっくり返された
「五等国の日本人!」
「ノウテン ホワイラ! シクシンク ホワイラ!」
中国人の青年や子供達から 度々 やられた!
【戦時中 満人の玉子売りのおばあちゃんが日本の軍人から卵をわざと割られた様に】
私はどんな仕打ちを受けても抵抗したら駄目だと両親から厳しく言われていた
そんなある日 四,五人の子供達にメリケンで殴られかけた
私の我慢も限界に来ていた
まず かなり年上の男の子の股間を蹴り上げ次に向かってきた子に組み付いた
握り飯はグチャグチャになって道に転がった
顔は鼻血で真っ赤 口からも血を流していたらしい
‘日の丸’を胸に付けている日本人が中国人に如何なる理由が有ろうと
喧嘩したり 殴りかかるなんて事は本人は勿論 家族まで罰せられる事に成っていた
私は殴られながら此れで殺されると思った
誰も止めに入ってくれる日本人は居なかった
陳君のお父さんが丁度通りかかった
“やめろ!やめろ!日本人といってもまだ子供じゃないか!”
それでも なかなか中国人達は私を許そうとはしなかった
彼らは私の胸の日の丸をもぎ取り 引きちぎって去って行った
私は助かってホットしながら
彼らは 戦時中 日本人に苛め抜かれたのだろうと思った
そして『日本軍の偉い連中は今頃日本に逃げ帰って楽々としている』と言う
そんな噂は事実に違いないと思え無性に腹が立った
そして情けないとも思った
シンキョウの露店
日本の軍属の家族が次々と帰国して行った
私の父は帰国真近なある軍属から軍事物資の医薬品類を分けてもらった
日本人は敗戦後 皆貧乏になり弱い国民になっているはずなのに軍属はやっぱり得だった
シンキョウの町には戦後たくさんの露店が出ていた
大勢の中国人達も店を出していた
其のほとんどがテント小屋だった
私の父も分けてもらった医薬品を売るためにその一角に露店を出していた
露店には中華料理の店が多いのにびっくりした 肉マン ギョウザ 色々な麺類
私が売っていた’握り飯’なんか売れるはずがなかった
当時 薬はかなり不足しているみたいだった
店頭には 消化薬 ビタミン剤 消毒薬 解熱剤 肝油 等々が並べてあった
私は時々店番をさせられた
豆 米 小麦 等の穀類を売っていた隣の店の中国人のおじさんが私に言った
『ショウハイ お前は子供なのに薬のことに詳しいし 偉いな』
私も見よう見まねで薬の名前とその効能を何時の間にか覚えていた
〈人間食べる為にはたくましくなるものだ〉
「おじさんは 何故豚マン食べないの? 胃の消化薬あげようか?」
『ダメダメ 俺は一生 豚は食べられない 神様が許してくれないからな』
「神様が?」
『そうだ 此処に店を出している連中の中にも色々な神様を信心しているからなぁ』
「ふーん」
『だから 神様によって 鳥を食べてはいけない人々 羊を食べてはいけない人々がいる』
私はだからこんなに食べ物の店が多いのかと思ったりした
ある日の午後
私の店先に来た二,三人の中国人が手当たり次第に薬を盗んだ
「泥棒! 泥棒!」私は叫んだ
『ショウハイを助けろ!』隣の店のおじさんが大声で助けを求めてくれた
バラバラと近所の店から飛び出した人達が泥棒達を追いかけてくれた
泥棒は薬を放り出して逃げて行った
私の父親が間も無く店に帰って来ておじさん達に[シェ シェ]と言って廻った
でも 中国人達は知らぬ振りをしていた
日本の大人にはまだまだ恨みがあっても子供には優しかった
あの時 泥棒を追いかけてくれた人の中に日本人は居なかった
開拓団のミッキーさん
季節の変化より

満州の秋は短い ビルの間から見える空は真っ青で空気が澄んでいた
でも 朝や夕方になると肉マン屋の店先の丸い蒸籠からの白い湯気が目立つようになった
私のシンキョウでの露店生活は続いていた
中国人は日本の大人にはまだまだ許しがたい恨みもあったが子供には優しかった
かつて日本は美しかったより

特に 私は’戦後直ぐに 日本に逃げようとしなかった子供’
そんな噂も有って中国人は親しくしてくれた
だから 父さんより私の方が店番をする事が多くなった
日本が負けて未だ二ヶ月しか経っていないのに私の周囲には色々な事が起こった
其の日は 寒くて 秋と言うよりは初冬に近い感じだった
夕方 店先に 大きな人影が立った
えっちゃんのせんそうより

顔は黒く髪の毛は短かったが軍服の下に日本人のモンペがのぞいていた’日本人だ’
私は其の時 隣の店の中国人のおじさんと今日の売り上げの話をしていた
だから 其の人は其の時 私を中国人と間違えていたらしい
顔が黒いのはワザト墨を塗っているためだと直ぐに分かった
靴もボロボロでかなり遠くから歩いて来た事も分かった
男に見せる為に色々と変装していても’日本人のおねえさん’と分かった
かなり疲れていた 墨に塗られた顔は妙にどす黒かった
祖父の十五年戦争より

「おねえさん!」私が日本語で話しかけた
『日本人の坊や…!!』
後は言葉にならず 体が崩れるように倒れた
私はアパートに走った そして 父さんを連れて来た時
隣の店のおじさんがおねえさんにお湯を飲ませていた
私と父はおねえさんをアパートに連れて帰った
アパートにいた母さんにおねえさんの世話を任せて父さんと私は露天に戻った
もう露店街は薄暗かった隣の店のおじさんが私の店の品物を片付けて待っていてくれた
『ショウハイ また あしたな!』おじさんはリヤカーを引いて帰った
「おじさん有難う サヨナラ また あした」私は何時もより大きな声で答えた
New22nozawaより

アパートに帰って私はびっくりした!!
母さんの着物を着ておねえさんが笑って立っていた 顔の墨も無くなり綺麗に見えた
《開拓団として満州にやって来て突然の敗戦で日本に帰国するために途中まで
皆と一緒だったが 匪賊の襲撃などに度々会い 皆とはぐれてしまい 線路伝い
に歩いて来た事 男の人達の大半はシベリヤ送りになった事等を話してくれた》
おねえさんの名前は 三木さんだった 私は「ミッキーさん」と呼ぶことにした
「ミッキーさん」から聞く敗戦後の開拓団の人達の生活はひどく悲惨なものだった
ミッキーさんの話
朝 シンキョウの露店に出掛ける皆の吐く息が少し白く見える様になった
開拓団の人々とはぐれ 着の身着のままの状態で私のアパートにたどり着いた
〈ミッキーさん〉は 日々元気になり健康を取り戻しつつあった
それで 私が色々質問するとその度に丁寧に答えてくれた
「開拓団って どんな人達なの?」と私が聞くと
『日本は畑にする土地が狭い それにくらべて満州は広大な土地だから穀類 野菜類ならいくらでも栽培できる しかも 土地は肥えているので皆の頑張り次第で 自分のため 家族のため ひいてはお国の為にもなると言われて日本から満州に来て頑張った人達よ』
〈ミッキーさん〉は 心なしか寂しそうに言った
「ミッキーさんはどうして 一人で開拓団としてやって来たの?」
『家には八人の子供が居て 私は一番末っ子でしかも女の子だったから』
「女の子だから?」
『そう 女は銃後を守るように教育されていたからあまり役に立たないと思われていたの
男は皆兵隊 しかもほとんど陸軍 中学校を出ていると海軍にも 空軍にも行けた 私には 兄が五人いた 長男は海軍の軍人に成りたかったのに 国民学校しか出ていないから陸軍にしか入隊できないと怒っていた 私も男に生まれたかった
其れで【男に負けてたまるか!】って満州に来たの そして兄達が出来なかった親孝行をして 成功したら’父さん’も’母さん’も満州に連れて来るつもりで頑張ったのに
突然 【日本は負けた 急いで日本に帰れ!】でしょう 今までの苦労は水の泡 一晩中泣いた 其の悔しさはあなたに分からないと思うよ 気が付いたら朝になっていた 皆一緒に逃げようって言ってくれたけど いつの間にか一人ポッチになっていた』
「それでどうしたの?」
『馬がね… 馬がね…』
ミッキーさんの目から大粒の涙が流れていた そしてしぼり出すような声で言った
『人の居なくなった厩舎につながれたままの馬たちが心細そうにヒィヒィーンと鳴いてるの馬は開拓団の同士だった 物を運んでくれたり 畑をたがやしてくれたり 其の馬が鳴いているの それなのに私は何も出来なかった せめて 馬小屋の馬の紐をほどいて逃がしてやるのが精一杯 間も無く 遠くに土煙りが見えた匪賊だと とっさに思った 逃げるために走った でも私の馬だけが付いてくるの 追い払っても 追い払っても…可哀相だった
でも 馬はこれ以上私を追いかけると私が危ないとわかったのか ひとしきり大きくヒィヒィーンと鳴いて立ち止まったの それから ジッーと私を見つめて 私が走って逃げても追いかけなかった ドンドン馬の姿が小さくなるの 悲しかった 戦争って人間だけでなく 馬 牛 羊にもむごい仕打ちをする』ミッキーさんの目には涙はなく赤く充血して怒っているみたいだった
私はミッキーさんに悪い事を聞いてしまったと思った
開拓団のおばあちゃん
戦時中だったら そろそろスチームが入ってアパートの部屋を温める時期になっていた
今は 誰もボイラーを炊く事の出来る人は居なかった
満州の長い冬の始まり そんな時 開拓団の人達がシンキョウに到着した
開拓団の日本への帰国の順番は北満 南満の 開拓地域によって決まっていた
私はミッキーさんと急いで敷島国民学校に出向いた
学校が開拓団の一時集結場所に決まったからだ ミッキーさんの開拓団の仲間もいた
其の中に私は日本人のおばあちゃんを見つけた
開拓団には老人は居ないと思っていたのでびっくりした
おばあちゃんはミッキーさん達の開拓団ではなかった
帰国の順番はかなり後になるとの事だった
ミッキーさんは自分の帰国の順番がおばあちゃんより先なので
順番を入れ替えてくれる様に開拓団の団長にお願いに行くと言った 其の事を知ると
おばあちゃんは目に一杯涙を貯めてキッパリと答えた
『自分は満州の地を開拓したら日本に帰るつもりは無かった だから 日本には帰りたくな
い 皆の気持ちに甘えて此処まで一緒に来たが もう あなたの気持ちだけで沢山だ!
だから そんな御願いだけはしないで欲しい』
でも ミッキーさんはおばあちゃんの言葉を振り切って団長の所に向かった
開拓団の団長はどっしりと椅子に腰掛けていて頼もしく見えた
でも 椅子から立ち上った時右手に杖を持ち そして満足に歩けなかった
気が付くとおばあちゃんも一緒に付いて来ていた そして怒りと悲しみに震えながら言った
『五体満足な日本の男はシベリヤ送り この人の奥さんは ロスケに目の前で手篭めにされた! この人は死のうとした! でも団長だから皆を日本に帰る船に乗せてから死のうと思っている もうたくさんだ!』 私はロスケと言う言葉を初めて聞いた
おばあちゃんが何故ロシヤ軍の兵隊をロスケと言ったか 後に分かった
私達はスチームが無くてもアパートでストーブを焚いて暖を取るようになった
外は防寒具を身に着けて居ないとたちまち凍傷にかかったそして手や足が腐れる
厳しい寒さだ! ミッキーさんはおばあちゃんの事を気にしながら やがて帰国して行った
何時もの通り私は帰国の順番を待つ開拓団の人達に熱い雑炊を鍋に入れて学校まで走った
〈おばあちゃんの帰国の順番が来る日まで私のアパートで暮らすように私はミッキーさんと一緒におばあちゃんを説得したがおばあちゃんの意志はかたかった〉
ある日の朝 私は雑炊を配っていた そして
おばあちゃんはお椀を何時もどおり手に持ったまま息絶えていた
敗戦の後は寒さとの戦争だった
やがて 満州には冬将軍と共にロシヤ兵が押し寄せてきた
零下数十度の開拓団収容所
その日 満州の冬にしては’どんよりとした’空だった
私は何時ものように開拓団の人達に朝食を届ける為
小高い場所にある学校に鍋を抱えて坂道を登っていた
でも お碗を持ったまま死んでいたおばあちゃんの姿が忘れられず気が重かった
大人達は校庭に穴を掘っておばあちゃんの遺体を埋めた
零下10度以下になった校庭は岩みたいに堅く穴掘りは大変だった
遺体を埋めると墓標もなく少し土盛した程度だった
其の後も 開拓団の人数は増え続けた
赤ちゃんを抱えた若いお母さん達もかなり居た
老人達はいくらアパートに誘っても『子供は国の宝だ 死なしてはならない 子供達を先に』と言って 私達の願を聞き入れようとはしなかった
そして おばあちゃんと同じように寒さと栄養不足のため次々と死んで行った
墓標のない盛り土だけの墓の数が増えていった
ついに 校庭の土も寒さのためコンクリートより固くなっていった
遺体は講堂に安置され始めた
最初の頃 遺体は布に包まれていたが次第に布の配給も無く
遺体は蝋人形のように放置されるようになった
眼を開いたままになった遺体も多くなった
人々は遺体の眼を閉じさせる余裕も気持ちも無くなり みんなの顔の表情はうつろだった
満州の冬の凄さを思い知らされた
私達 子供には食事当番が廻って来なくなった
あまりにも悲惨な場面を見せるのが忍びなくなったのだろう……
だから 其の後どれだけの人達がどう言う形で冬をしのいだのか
そして 死んで行ったのか知らない
【私は 戦後50数年経ってもあの光景が夢に出てくる 忘れたい事なのに】
ところで 赤ちゃんや幼児を連れている人達を日本人家族がアパートに引き取り始めた
私の家でも5人のお母さんと6人の子供達との共同生活が始まっていた
戦後 最初の冬でスチームも無く家の中は寒々としていたが子供達は結構元気だった
同じアパートに住んでいた中国人のおばあちゃんが防寒用支那服の作り方を教えてくれた
そして 子供達は日本人も中国人もすぐに打ち解けて仲良しになった
大人の間にも日増しに信頼関係が増して来ているようだった
【今思い出してみるといじめられたことも有ったが中国の人達の心の広さに度々救われた事があった】
ある日 先に日本に引揚げた[ミッキーさん]達の開拓団が全滅したらしいとの噂が流れた
重苦しい 雰囲気になり アパートの開拓団親子等の間に帰国に対する不安感が流れた
その二 ロスケ
ロスケ

私のアパートで暮らしている開拓団親子の帰国の順番はなかなかやって来なかった
子供達は早く日本に帰国したいと望む事も無く
その日 その日を気楽に過していたと思う
でも大人達は日本に帰りたいと言う思いはつのるばかりで焦りにも似た心情だったと思う
でも 急いで帰国してもその途中の安全が確保されていないと言うこともあり
いら立ちとジレンマが有ったみたいだった
亡くなった「ミッキーさん」の友達も一人新たに加わりまるで今で言う保育園みたいだった
そんな時 よれよれの防寒服に身を包んだ だらしない集団が
隊列とも行列ともつかぬ疲れ果てた行進をしてシンキョウにやって来た
ロスケ!と呼ばれた ロシヤ軍の兵士達だった
頭にかぶった防寒帽も軍服の上に着ている防寒コートも糸がほぐれたようでだらしなかった
でも 緑色がひときわ目立つ帽子を被った将校によって統率されていた
兵隊達はその将校の顔色を伺いながら行進している事が直ぐに分かった
寒さの中で兵隊の吐く息と軍服とコートの間から出る汗の白い湯気がその集団を包んでいた
子供心にもこんなだらしない兵隊に日本は負けたのかと思うと情けなかった
ロシヤ軍がシンキョウにやって来て間もない ある日の夜中 突然
ベリベリと大きな音と共に玄関の分厚い扉が引き裂かれるように破られた
ロスケだ!ロスケだ!私は叫んだ
開拓団の女の人達は自分の子供をしっかり抱いて部屋の隅にかたまっていた
私は「ミッキーさん」の友達の子供になった振りをしてしっかりと手をつなぎ合っていた
“ロスケは子供連れの女には手を出さない”そんな噂が流れていたからだった
確かに侵入して来た3人のロスケは部屋を見回したが
女を連れて行く事はしなかった 一人のロシヤ兵が私の前に来てしゃがんだ
そして 大きな二本の腕を突き出したその両腕にはバラバラな時刻を刻んだ腕時計が見えた
私の父親が『スイス製』ですと言いながらオズオズ腕時計を一個差し出すと
『ハラショ!』と言って受け取り部屋からゆっくり出て行った 全員 ホッとした
ほんの一瞬の事だったと思うがずいぶん長い時間に思えた
私とロスケの初めての出遭いは終わった
【後日 私が片言のロシヤ語を話せるようになって分かった事だが 彼らは殆ど読み書きが出来なかった ロシヤでは農業をしていたと言う兵隊が多かった だから 兵隊は比較的子供好きで優しかった そして 彼らは腕時計は初めて見たと言った だから 間も無く国に帰るからと私に家族の写真を見せながら略奪した腕時計をみやげにすると言っていた】
私はこんなに家族の事を大事にする人達が戦争になると平気で泥棒をしてもかまわないと思う様になるのかと残念だった
ゲーペーウー
満州の冬零下40度 敗戦になって 初めての正月 アパートの中国人家族は皆元気だった
陳君の家の扉の周囲には赤い紙に漢字が太く黒々と書かれていた
私には全く読めなかった でも 福とか幸の字が多かった事は記憶している
日本の占領下では見た事も無い光景だった 中国の祭りの時にきる装束も初めて見た
綺麗で 威厳が有った 爆竹も凄まじい音をたてて バン バン バババンと鳴り響いた
この頃になると 開拓団の人達も帰国途中に色々な不安は有るにしろ
色々危険な事を経験したためか少しの事には動じなくなり 慣れて行った
そして 私のところにかくまっていた開拓団の親も子供達も名残惜しそうに挨拶して
日本に帰って行った 開拓団の人達が引揚げて数が減って行くのとは逆に
この頃ロシヤ兵がシンキョウの町に溢れるばかりになっていた
私は露天商として 客との応対も板に付いてきていた
そんな時 私の露店の前に緑色の帽子をかぶった格好のいい軍服の
「ゲーペーウー」がピストルを私に向けて立っていた
そして 直ぐに パン パンと爆竹みたいな ピストルの発射音がした
余りにも突発的で私は自分が撃たれたと思った でも私の背後にドッタと鈍い音がして
一人のロスケが倒れていた 体の何処を撃たれたのか分からなかったが
数人の「ゲーペーウー」がロスケを抱えて連れ去った
中国人の露天商仲間は
『「ゲーペーウー」はロシヤ兵が軍規をみだした時処罰する特権を持って居る だから
ロシヤ兵は怖がっているが 日本の憲兵みたいに一般市民には手を出さないから
心配するな』と言った
「日本の憲兵はそんなに悪かったの?」と私が聞くと
すぐには答えなかったがしばらくして
『日本の憲兵には色々命令されたが一番嫌だったのは自分が当時仕えていた日本人の家族
の事を密告する様に言われた事だった』 「密告?」
『そう その家に出入りしている人達や日本から送られてくる郵便物の宛先や品物の内容を
調べるように命令され 断るとかなり色々な方法で脅された だから仕方無しに報告した』
『今でも そのときの事を思い出すと心が苦しくなる 当時使えていた日本人の主人がある日突然憲兵に逮捕されて連れて行かれた日本人家族の悲しみ方は大変なものだった 自分が密告した内容が原因ではないと思いつつも イヤな気分だった』
私はそれ以上聞く事はやめた
苦しかった時の思い出を今になって告白させるような気がした
露天商のおじさんも戦争の被害者の一人だったのだ
化粧をした日本の女

ロシヤ兵達も シンキョウの町に駐屯して数ヶ月が経った
その間 ロシヤ兵 中国人 日本人 それぞれの間に色々な出来事があった
でも ある程度の治安は保たれるようになっていた
私のアパートの住人達の間にも変化があった
開拓団の人達が内地に引揚げた部屋の後にロシヤの将校が入居した
ある日 突然 私の背後から良い香りがしたと思った時
『ボウヤ 日本人でしょう?』と声を掛けられた 振り向くと
綺麗な顔の日本の女の人が微笑んでいた
化粧をした日本の女性に出会うなんて予想もしていなかった
でも 私にとっては懐かしい日本の香りのような気がした
『今度 このアパートに住む事になったの よろしくね』
私がビックリしていると
『また 後でね』
と言って 去って行った 戦後初めて日本の女の人に会ったような気がした
頭の髪は今で言う ショートカットで白いブラウスと花柄のスカートが印象的だった
私は戦争が終わった実感をこんな事で味わされるなんて思ってもいなかった
次の日
『ボウヤ これあげる ロシヤ語良く分かるわね ご褒美よ』
と言ってチョコレートをくれた
その隣には
やけに大きな帽子と多くの勲章をつけた軍服のロシヤの将校が立っていた
私はこの日本女性は通訳だろうと思いながら 有難うと言ってチョコレートを貰った
家に帰って母親にその事を話すと
“そんな物貰って駄目じゃない すぐに返してきなさい”と大声で怒られた
私は母親の激怒に何故か分からぬままチョコレートを返しに行った
『やっぱりお母さんはそんなふうに思ったのね 私達は夫婦よ 間も無くロシヤに帰るの
ボウヤには悪い事をしたわね ゴメンネ』
小奇麗にかたずけられた部屋に招かれたが
何故か私はあがる事はしなかった
一月もしない内に彼女はロシヤに向かった
日本人は皆冷たい目で見つめていた
私が’さよなら’と言うと
『ありがとう ボウヤも元気でね』と幾分寂しそうな笑顔で手を振って去って行った
デマ
終戦後初めて経験した厳しい冬が終わりを告げるような小春日和が続いた
猫柳の芽吹きも真近で空気の匂いも春めいていた
戦前だったら学校では卒業式や入学式がとり行われる時期だった
戦争に負けてからの日本人達の生活は変わったけれど
自然の変化は変わらず私は子供心にも人間の営みの小さゝを感じた
学校と言えば校庭に無造作に葬った遺体や講堂に放置した遺体のことが気になった
大人達に聞いても詳しく話してくれずほとんどの人がもうその事は忘れなさいと言った
私はロシヤ兵がシンキョウの町から少し減ったように思えた
そんなある日 明日から 今まで使っていた日本紙幣が使えないようになる
使えるのはロシヤの軍票だけになる 今日のうちに軍票に交換しておかないと大変だ
そんな噂が露店街に流れた
ロシヤの軍票は大別して二種類あった
それは 赤色と青紫色で長方形の薄っぺらな紙に簡単なデザインと数値が印刷されていた
日本人の露天商仲間の間では皆半信半疑だった
今まで さんざん騙され続けていたので又かと言う空気が強かった
でも 情報通とされていた日本人の一人はロシヤ兵の部隊が交代の為に今は減っているが
間も無く本隊が到着しシンキョウを統括する
だから その司令官が日本円札の使用を禁止するとの事だと真顔で話した
もし「自分に金を預ける人が居ればロシヤの軍票と今日中に交換して来てもかまわない」
と咳き込みながらまくしたてた
終戦後も今までどおり中国紙幣ではなく日本の紙幣が使われていたが
ロシヤ兵が進駐してきて初めてロシヤの軍票が町に溢れた
ガリ版刷りの単色の軍票はロシヤ兵が幾らでも偽造して居た事は皆が知っていた筈だった
でも 『ロシヤの本隊がシンキョウを統括する』と言う言葉は妙に説得力があった
日本人達の中には彼に全ての日本紙幣を預けて
ロシヤの軍票と今日中に交換してきて欲しいと頼んだ人もかなり居た
私の父親も心配そうだった
『もし本当だったら日本に引揚げる時一文無しになってしまう大変なことだ』
と頭お抱え込んでいた 私は隣の中国の露天商のおじさんに尋ねた
【日本人は日本人同士で騙し合いをしている そんな噂は我々には伝わっても居ない】
との事だった 次の日 その情報通の日本人は姿を消して居た
金を持ち逃げされた人達の落ち込む姿は今でも忘れられない
非常時に良く起こるこの「デマ」に私は度々悩まされた
その三 中国の内戦始まる
中国人同士の戦争
ロシヤの兵隊が突然シンキョウの町から居なくなった
皆 噂ではロシヤ軍の本隊が到着するとの事だったので
どんなロシヤ兵隊達なのか不安になっていた
露天商の日本人も中国人もそれは同じだった
ところがロシヤ軍はやって来なかった
やがて 中国人達の様子が何となくギクシャクしてきた
露天のあちらこちらで声をひそめてコソコソと話す光景が目立ってきた
そして中国人の露天商仲間が一人二人と店をたたんで
挨拶も無く何処かに消えて行った
間もなく ロシヤ軍ではなく中国人の兵隊のジュウケイ軍がやってきた
私は其れが【蒋介石の軍隊】だと隣の露天商のおじさんから教えられた
ジュウケイ軍の軍服はスマートで綺麗に見えた
私には何故ロシヤ軍ではなく中国人の軍隊がシンキョウにやって来たのか不思議だった
でも ロスケよりましな気がした
何故か中国人だと安心した気持ちになった
露天商仲間は数人減ったが今まで通りの生活は出来た
ところが ある日の夜中 パン パン パンと爆竹より小さい音が聞こえた
それが パウロ軍【毛沢東の軍隊】とジュウケイ軍との戦争の始まりだった
朝になってアパートの四階の窓からのぞいて見ると
ジュウケイ軍と比べてかなり粗末な軍服の兵隊達がアパートの角から身を潜めながら
鉄砲でパン パン パンと向かいのアパートのジュウケイ軍に向かって発砲していた
私は何故中国人同士が戦争をしなければならないのか理解に苦しんだ
そして 露店をたたんで’こっそりと’去って行った中国人仲間の事が気に掛かった
私は隣の露店のおじさんに
「日本は戦争に負けて五等国になったのに一等国になった中国が何故味方同士で戦うの?」
と聞くと おじさんは 黙ってうつむいているばかりだった
露店生活はそんな状態でも続けた
露天に出向く時 流れ弾の音が ヒュー ヒョー と変な音を立てて
私の近くを飛んで行った けれども 流れ弾はめったに命中しないと分かった
ビルの角から通りに出る時だけは
(突然飛び出すと撃たれるので)ゆっくり帽子を振って合図した
そして 通りから通りに移動して露店まで歩いた
夜の戦いで死んだ両軍の死体がゴロゴロしていた
隣の露店のおじさんは『今日も無事に会えたな 良かった! 良かった!』
と言って私を迎えてくれた
オオーイまた会おう
内戦は続いた
でも 不思議に夜の市街戦は少なくなった
そのかわり 日中はかなり危険な状態に直面することが多くなった
ビルの角を曲がる時
ビルの角から通りに出る時
今までは帽子を振って合図して此方の所在を明らかにすれば発砲される事は無かった
しかし 今は帽子を棒の先に付けて合図しても狙撃され帽子が打ち落とされる事もあった
アパートの窓越しに人の気配があると撃ってきた
だから 窓は畳や板で目隠しをした
それは中国人 日本人を問わず発砲された
私のシンキョウのアパート付近が丁度内戦の中心に位置していたらしい
今日「ジュウケイ軍」がいると思うと
明日は「パウロ軍」だったり よく入れ替わった
露店まで出掛けるのも危険になったので 人々は息を潜めて家に閉じこもっていた
女や子供だと分かれば発砲しなかった
私は露店が心配だったので用心しながら出掛けた
やはり流れ弾が飛んでくるが それが至近距離だと風圧みたいなものを感じるだけで
音がしない事が分かった
私の背後で プスッツ プスッツと畳に玉が当った時と同じ音がしたと同時に
ウーとうめく声が聞こえた 兵隊が腹を手で押さえて崩れ落ちた
そんな光景に何度か出会いながら露天へ向かっていると
突然 ビルの屋上で激しい打ち合いが始まった
今までに無い凄さだった
私は動くに動けず腹ばいになっていた
すると 何か号令の様な大きな怒鳴り声が聞こえた
銃声は止んだ
「オーイ俺だ 貴様も元気か」
突然の日本語で私は一瞬 狐につままれた感じだった
「〇〇部隊はどうした」「ほとんど シベリヤ行きだ」「そうか 縁があったらまた会おう」
驚いた事に元日本兵が敵と味方に別れ戦闘の指揮を執っていたのだった
家に帰って事の顛末を話したが誰も信用してくれなかった
でも私は 其の後も元日本兵が居るジュウケイ軍やパウロ軍に出会った
あからさまに自分は日本人だと名乗る人は居なかったが
今 あの人達はどうしているのだろう……
人さらい
ジュウケイ軍とパウロ軍の内戦は続いていた
やがて パウロ軍の兵隊の数の方がシンキョウの町には多くなり
夜の銃声はほとんどしなくなり 流れ弾の音もしなくなっていた
だから ビルの角から通りに出る時は帽子とか 布を振って合図する必要はなくなった
・日本と鬼畜米英の戦争
・ロシヤの参戦
・中国の内戦
私は満州のシンキョウでアメリカやイギリスの空襲や市街戦には遭遇はしなかった
でも 何れにしろ シンキョウでの市街戦や空襲等を経験して
どの軍隊でも軍部の指揮官に相当する位の将校は要領が良く危険な戦場には姿を見せず
勝敗の決着が着いてから安全を確かめておもむろに登場する様に思った
市街戦でゴロゴロ死体となって倒れていたのはどの部隊も下士官以下の兵隊だった
だからか 満州の敷島国民学校の教室で戦闘服に身を包みゲートルを巻いた先生に
【君達は将来何になってお国の為に尽くしたいのか?】と問われると
男の子はほとんど陸軍大将・海軍大将・艦長・戦車隊長になりたいと反射的に答えていた
其れは当時お国の為に尽くすことは偉くなる事だと生徒達は純粋に思っていたからだ
でも そのセリフのやりとりは日常化していたと思うし
先生に良く思われたい!非国民と言われたくない!単純にそんな事だったとも思える
私は 実際の色々な内戦の現状を見て体験してその実情を知ることにより
偉くなると言う事は裏を返せば死ななくて済むと言う事だったのか?
だから大人達は自分の子供を陸軍や海軍の士官学校に入学させたがったのかと思ったりした
私が思ったとおりパウロ軍の将校もやはり市街戦が終わりに近づくと
シンキョウの町に軍馬にまたがってやって来た
もう あまり驚く事でもなかったが その中に元日本軍の兵隊や将校が数人は居た
シンキョウの町も開拓団から始まって 順番に日本人が帰国して行ったので
日本人の数は減った
私は何故 同じ元日本兵でもシベリヤ送りになったり
パウロ軍やジュウケイ軍の兵隊や将校になっているのか分からなかった
日本人の子供が少なくなるに連れて『人さらい』の噂が流れ
私達にも町を歩く時には一人では駄目だという事になった
その理由は【日本人の子供は優秀】だからと言うことだった
ひょっとすると パウロ軍やジュウケイ軍で活躍した元日本兵の優秀さから
そんな噂が出たのかも知れないと大人達は話していたが
私が日本に引揚げる時 その事が本当だったと知らされる事に遭遇した
引揚げ間近な頃

「人さらい」の噂が拡がり始めてから間もない頃
アパートの日本人達の引揚げの話も本格的になって来た 引揚げが間近になって来ると
引揚者が日本に帰る時に 今迄隠し持っていた貴重品を狙って”匪賊”が出没した
何処から 情報が流れるのか”匪賊”は必ずやって来るという事だった
そんな ある日 アパートの隣から窓越しに
今 アパートに二人組みの”匪賊”が侵入したから気を付けよと連絡があった
私はアパートの4階の窓から下を見下ろすと
十数人近い日本人達が心配そうに上を見上げていた その中に母の顔も見えた
心配しているみたいだったので
私は 大丈夫! 大丈夫!と無言で母親に向かってガッツポーズをした
アパートの下に居る人達の右往左往する動きで
今アパートのどの付近に”匪賊”が居るか見当が着いた
ヒョト 見ると 私の家の窓の下に 皆集まっていたのでそろそろかなと思った
その途端 私のアパートのドアが開いたような気がした
そんな馬鹿な!と思いドアの方を向いた時二人のパウロ軍の軍服が目に飛び込んだ
“パウロ軍の匪賊”
ドアは三箇所施錠する事になっていたしそれぞれを確認したと思っていたが
うかつにもその一つを 閉め忘れていたらしい
二人は私の机の引き出しを開けた私は一瞬’めまい’がした
引き出しの中にはパウロとジュウケイの内戦のとき拾った不発の鉄砲玉が入って居た
此れは何か難くせを付けられる事になる シマッタ! 軍隊に連行されるかもしれない
心臓がドキドキした 良く見ると パウロ軍の二人はまだ若い少年兵みたいだった
「お前達は 何時 日本帰るのか?」と聞くので『分からない』と答えると
アパートの押入れを開けてリュックサックを見つけ中から非常食のカンパンやコンペイトウ
を取り出しながら
「学校に行っているのか?」「父親は軍人だったのか?」「日本の子供はどんな計算も出来るのか?」等矢つぎ早に聞くので『学校は無くなった』『父は軍人ではない』『そんなに計算が出来るわけでもない』と答えると「自分達は明日シンキョウを離れる何処に行くかわからない」と言うのでカンパンを二箱渡すと
「’人さらい’には気を付けろよ」と言って何もとらずに出て行った
私は狐につままれたような気分だった
その間 かなり時間が経っていたらしい 母が戻ってきた時 事の次第を話すと一階の門には銃を持ったパウロ軍が見張っていたのでアパートに入れなかったと言った カンパンは非常食で大事だけれど 良かった!良かった!でも何だったんだろう?といぶかしげだった
一週間後隣のアパートに匪賊が入りかなりの被害が出たと知らされ驚いた
明日は日本に
その日の夕日は
紫色に縁取りされた緋色の雲に挟まれて
静かに穏やかに沈もうとしていた
私は満州の色々な事に出会い経験もした
短かったが外地での戦中・戦後の生活
戦争によって死んでいった多くの人
シンキョウでそして平和だったカイゲンでも
零下四十度で凍死していった開拓団の人達
その中でもお椀を片手に持ったまま死んだ おばあちゃん
雑炊をすすりながら
『ワシはいい 今からお国の為に成る若い人を助けてやってくれ ワシは成仏して祖国に帰るから気にせんでエエ』とつぶやくように言って居た
『あなたと一緒に日本に帰れたらいいのにゴメンネ』と目に涙を一杯ためて別れた
ミッキーさんも帰国できぬまま零下四十度の満州の冬将軍に殺された
正月にやって来た前原軍曹・金子少尉はサイパンで玉砕
シンキョウでもカイゲンでも
その別れが死とつながっているとは誰にも分からなかった
でも 兎に角 明日は日本に帰るのだ
カイゲンの地平線まで続くコウリャン畑に沈んだ夕日
茜色に染めた空が次第に暮れる その美しさは忘れられない
しかし 明日は日本に帰ると分かった日の夕日は美しさと共に不気味な感じがした
陳君は『日本に着いたら富士山の写真を送ってくれ』と言った
陳君のおばあちゃんは『此れが最後の餅アワ粥じゃ』と木の椀に注いでくれた
陳君のお父さんは『匪賊が出るから気を付けて』と心配してくれた
彼らと一緒に見つめていた夕日が沈む彼方が日本の様な気がした
あの夕日の色は死んで行った人の魂の色にも思えるし
明日日本に引揚げる時に待ち構えている恐ろしい門出の象徴にも見えた
その予感は当った
まさか無事に日本に帰れるなんてと思われる場面にしばしば遭遇した
だから 自分の子供だけでも無事で助かってくれればと願い
中国人に預けて帰国した人も多かった