第五章 上陸してからの日本
その一 引揚者としての生活
上陸

其の日の朝は何となく皆 興奮気味だった
コレラ菌の検査結果が出る日だと言う噂が流れていた
誰かが突然言った
「我々は今日上陸だ」
余りのあっけなさに 皆 何となく拍子抜けの感じだった
そして 慌てた 心の準備が出来ていなかった
上陸の為の用意は何も無かった 只 からっぽのリュックサック一つだった
私も其の後の事はよく覚えていない かなり 興奮していたのだと思う
朝飯は食べたと思うが良く覚えていない
間も無く 四十人乗りの上陸用舟艇が私達の引揚船に接舷し
次々に引揚者を上陸させた
能古博物館より

私達の番が来た
アメリカ兵がガムをクチャクチャ噛みながら肩から提げた銃で指図していた
そして 少しでも動作がもたつくと英語で怒鳴った アメリカ兵はロスケに比べて
紳士的だと聞いていたが違っていた 威圧的な態度だった
私はロスケや中国の内戦で 日頃威張っていた兵隊達が実際の戦闘になると
臆病になる事を経験していたので アメリカ兵達も一緒だろうと思うと
この程度の脅しは怖くなかった
お母さん達も同じ心境だったと思う 皆 堂々としていた
むしろ アメリカ兵の方が弱みを見せまいとしている様で不自然だった
でも 逃亡兵達の態度は違っていた 全員オドオドしていた
私はコレラ検査の後あれだけ不満をぶちまけていた人達とは思えない態度だと情けなかった
此れでは日本が戦争に負けたのも当り前とも思える程だった
平和祈念展示資料館より

上陸は順調に進んだ
上陸用舟艇から陸に上げられる時DDTの白い粉を頭から襟首から噴霧された
皆顔も真っ白になっていた
兎に角 ノミ シラミ の駆除の為とは知りながらまるで家畜扱いだった
上陸してから私達は兵舎の跡みたいな収容所に入れられた
汚かった
便所は便で溢れていた 外の土管も便所用に使われ便が溢れていた
此れでは家畜以下だと思った
何かジメジメした不潔な収容所だったが数日後には故郷に向かって出発させるとの事だった
だから 皆 我慢した
私は今でもあの時の光景を思い出すと吐き気がする それほど ひどいものだった
リュックサックを盗まれた
不潔で汚い引揚者収容所の生活は短かった
直ぐに引揚者達は日本各地に散り散りになって去って行った
エッちゃんの姿も捜したが見当たらなかった
兎に角 私達は汽車に乗る為に駅に急いだ
駅に着いて機関車を見たとき余りにも小さいので驚いた
満州の特急アジア号の機関車と比較するとオモチャの機関車みたいに感じた
駅は人でごった返していた
「泥棒が居るぞ 用心しろ」と誰かが叫んだ
「まさか 此処は日本だ満州じゃない日本人が引揚者の物を泥棒なんてするものか」
「アッ 俺のリュックがない」
「俺のも無い」
「別に盗まれても何も入ってはしない きたなく汚れた着る物ぐらいだから構わないが」
「引揚証明書は身につけていたから助かった」
「便所に行くにも見張りを立てないと駄目みたいだ」
「日本にも匪賊みたいなのが居るとは」
引揚者達は日本に無事上陸できて故郷に帰れる事で緊張感が無くなり油断していた
「まるで我々をコレラの塊りみたいな目で見ている」
「我々は引揚者の中でも順番から言えば最後に近いから 我々の前に引揚げたのが悪い事
でもしたのかな」
「そんな事は無いと思うぞ」
「そしたら噂以上に日本の国は駄目になっているのか」
「駅員にリュックを盗まれたから警官に連絡してくれと言ったら 其の警官が信用できない
と言われた」
「そんな馬鹿な」
後になって私は『そんな馬鹿な事』を目の当たりにする出来事に遭遇した
日本は狂って居ると思った
汽車がホームに入ってきた
人が鈴生りになっていた一応客車だったが人が窓からはみ出しデッキにぶら下がり客車の屋根にも人が居た 屈強な男が女・子供を先に乗せるどころか押しのけて我先に突進して乗り込んだ
「ノケ ノケ 邪魔だ」
「うるさい 俺が先だ貴様こそノケ」
「ヤカマシイ」
「イターイ 助けて」
日本の現実が其処に有った
日本に帰った
日本の田舎
私が引揚げてきたのは父親の故郷で 北九州の半農半漁の村だった
今にも倒れそうな藁葺き屋根で やっと倒れないようにして建っている赤土壁の家だった
そして 農家でも漁師の家でもなかった
節穴の開いた雨戸はついていたが障子一枚で 室内と室外という感じだった
井戸があり 深さは十五メーター位だったので’つるべ’で水汲みをしていた
障子を張った木戸を開けると土間が有り右側が板張りの縁で履物は無く裸足だったので
外から帰ると水桶で足を洗って雑巾で拭いて縁にあがることになっていた
今にも踏み割りそうな板を用心深く踏んで上がると六畳位のタタミの部屋が先ずあり
其の先に八畳のタタミの部屋が続いていた 其処には赤土壁の床の間が有り
何処から吹いてくるのか 掛け軸がかぜでカラカラと鳴りながらぶら下がっていた
そして この家にはふさわしくない様な立派な神棚があった
六畳の部屋の左奥は黒光りした板張りになり 納戸があり仏壇があった
納戸の右奥 つまり 八畳の裏側に便所があった
板戸がついていて四角いカンヌキ状の木を左右に動かすだけで開閉が出来るドアだった
大便用に使う場所にはかろうじて古い板戸がついていたが しゃがむと赤土壁が崩れて
竹の桟が見え外からは丸見えだった
満州からの引揚げの途中壁も何もない溝に棒を渡しただけの便所の経験があるので大して気にも留めなかったが 満州とはかけ離れた環境だった
夜 タタミに引かれた布団で寝た 気持ちよかった 御日様の匂いがした
天井を見ると黒い大きな材木が無造作に組み合わされ屋根を葺いている藁と其れを止めている縄が黒ずんで見えた 間も無く眠くなった この家での最初の夜だった
次の日 早速 学校に連れて行かれた
国民学校は小学校と呼び名が変わっていた そして もう男女共学になっていた
先生が黒板の前に立って 私の肩に手を置いてニコニコしながら紹介してくれた
「仲ようしてやれあたらしか友達タイ」そして私に「皆に挨拶ばシンシャイ」
と方言で言われたのでその意味が最初は理解できなかったが其の場の雰囲気で
「こんにちは」と言って頭を下げた
「ソゲン短かかとか バサラ苦労ばしてきたとやろうが満州からの引揚者タイ ソゲンやろうが お前達は満州言うてん知らんバッテン 遠かとゾ」と補足してくれた
私は三年生の組に編入させられた
男の子は顔の色が白い子と 日焼けして黒い子が居た
顔の白い子供達が百姓の子供で 黒いのが漁師の子供達だった
学校は木造の校舎で歩くと廊下が軋んでミシミシと鳴った でもぴかぴかに磨かれていた
私は家も学校も満州の様にコンクリートやレンガではないが
何かほのぼのとしたものを感じた
日本人は変わった
木炭バス
検閲だ!
何処から現れたのか私服の警察官が私の近くに立って居た
そして 逃げ遅れた婦人に向かって「こっちに きんしゃい」と言って駅の横に連れて行った
「そのリュックの中ば見しぇんしゃい」と命令した
引揚者だろうと思われるその人は蛇に睨まれた蛙のように立ちすくみ
「………」顔は蒼ざめて足が震えていた
「なんばしょうとか 早ようリュックば開かんね」
聞き取れないような小さな声で婦人が答えた
「年寄りと子供が家で待っています 早く帰らないと心配してます」
「汽車が遅れとうけん まだ時間の有ると 規則は規則じゃけん早う見せんね」
「何も悪い事はしてません」
「いいけん 見しぇんしゃい」警察官はやにわにリュックを婦人の背中から持ち上げて
両腕から下に向かってサッと降ろした 非常に手馴れていた
そして リュックの紐をほどいて中に手を入れて
「やっぱ 思ったとおりばい 米とカナギの入とうばい 違反やけん没収するばい」
「待って下さい 主人は今シベリヤに抑留されてまだ帰って来てません その父と母 それに子供が病気です それで やっと譲り受けた大事なものです 許してください」
目に涙を浮かべて懇願していた
「よう皆が使う手たい 駄目ばい そげんこっちゃ騙されんばい 芋は勘弁しちゃるけん
今後はこんなことはせんように いいな」
と言って三升ぐらいの米と1キロ位の乾しカナギ袋を持ち去った
周囲には誰も居なくなっていた 子供の私だけがその光景を見ていた
それに気が付いた警察官は脅すように
「このガキたれが 早よう帰らんか!」と怒鳴って
まるで獲物を取ったように駅舎の方へ足早に去って行った
私は日本で満州の敗戦後と一緒の光景を見てびっくりし そして情けなくなった
戦争に負けた日本は人の心までやっぱりおかしくなったのかと思った
遅れていた汽車がポーと汽笛を鳴らしてホームに入ってきた
客車はすし詰で屋根に人が乗っていた
私は窓から乗った 汽車は汽笛を鳴らして蒸気を苦しそうに吐きながら出発した
汽車が動き出して間も無くして私の横にいる男が言った
「さっきは 可哀相だったなー あいつら 没収した米は仲間で分配してるんじゃ」
「昔の憲兵よ 何時も弱いものいじめは居るものよ」
「一日一人捕まえると後は見逃すらしい あの奥さんには気の毒な事をした」
「違反は違反だから俺等は文句も言えん 悲しか事じゃ」
後日 私は連中が分配している現場に遭遇した
復員兵の会話
私の乗った汽車は寿司詰め状態だたので窓から人の背中や腕等が出ていた
その為窓が閉まらなかった
トンネルを通過する時は機関車の煙が車内に充満し石炭の臭が無くなる間も無く汽車は
またトンネルに入った
『懐かしい日本の香りだ』ポツリと言った人が居た
「そうだな向うじゃ馬ばかりだったからな」
襟章は取れていたがその汚れた軍服から軍曹位かなと私は思った
『最後にその馬まで殺して喰った』
「赤犬も喰ったな」
『南方じゃ人間まで喰ったらしいな』
「お前新型爆弾の事聞いたか」
『広島と長崎では殆ど全滅らしい 詳しい事は進駐軍が隠しているらしいぞ』
「オイ 窓の外を見ろジープにアメコウが乗ってるぞ こんな田舎まで奴らは来てるのか」
『横に乗ってる派手な女は日本人じゃないか』
「この汽車より速いみたいだ あれがパンスケと言うアメコウの囲い者か」
また 汽車はトンネルに入った ゴーと言う音で会話は聞こえなくなった
その引揚の経路や手段は分からないが多分北満帰りだろうと私は思った
汽車がトンネルを抜けると皆の鼻の穴や目の回りが黒ずみ不気味でしかも滑稽な顔になって
いた トンネルに入るたびに会話は聞こえなくなったが久し振りに聞く引揚者の会話だった
『青木軍曹は故郷に帰ったら自分の墓が出来て嫁さんは再婚しとったらしい』
「良くある話よ」
『下士官以下の兵隊は皆苦労してやっとの思いで帰ってもこのざまよ』
「将校連中は早めに本国に引揚げ適当に役所なんかに勤めたりして優雅なものよ」
『俺達ちゃ着の身着のままで何時まで経っても汚ねえ軍服暮らしよ』
「警察官になった奴もかなり居るらしい」
『そういや将校の軍服を着た奴は見んな』
「見たら敬礼するか」
『馬鹿言え 良く殴られたからな でもとっさだったら分からんな』
汽車はまたトンネルに入った
私は子供心にも戦争って何だったんだろうと考え込んだ
学校でも先生達は戦争のことについてあまり話したがらなかった
特に年をとった先生達が何の説明もなく校庭の二宮金二郎の像を倒して処分した時の不可解
な行動を思い出した 確かに音楽の時間に軍歌は歌わなくなっていたが ♪♪芝刈り 縄なひ 草鞋をつくり 親の手を助け 弟を世話し 兄弟仲よく孝行つくす 手本は二宮金次郎♪♪ この歌の何処がそんなに悪いのだろう 私にはこれも不思議なことだった
病気の赤ちゃん
満員列車が駅に止まる毎に
「早く降りんか」「其処をのけ」「その荷物は私のよ」「やっとのれた」等 怒鳴り声が飛び交い
乗降客の間には 譲り合いや 女・子供を大事にする心は全く感じられなかった
腕力が強い者が全てみたいだった「こんな人ばかりだから日本は戦争にも負けたのよ」
今の駅から乗ってきたネンネコを背負ったお母さんがつぶやいた
私は 日本本土に帰れば日本人同士だから皆で助け合っていくのは当然だろうと思っていたが大間違いだった
汽車は停車してから出発するまでに客が混雑する為かかなりの時間がかかった
でも 汽車が走り出してから垣間見る外の田園風景は穏やかで昔の日本そのままに思えた
「オギャー オギャー」突然ネンネコの中から赤ちゃんのけたたましい鳴き声が聞こえた
「うるせえ 何とかしろ 子供もろくに扱えないくせに生意気言うんじゃねえ 俺達も好き好んで兵隊になったんじゃねえ」
「……………」
「うるせえ やかましい」その男は大声で怒鳴りだした
私はこんなに大勢の日本人が乗って居ながら誰も何にも言わない事を情けなく思った
引揚げの時は明日おも知れぬ身だから自暴自棄になる人も居たが誰かがかばってあげていた
だから 帰って来た日本では思いやりのない人達ばかりに出会っているような気がした
「こっちに 来んしゃい 其処を通してやってんしゃい はよはよ」と声がかかった
私は身動きできないのでその人の姿は分からなかったが 中年のおばさんの声だった
「今は日本も戦争に負けて悔しかったい ばってん 子供にあたるこたあなか 兵隊に行って
帰って来てん 食いぶちの多くなるだけで だあれも喜ばんことも 多かと」
ゴーっと汽車はトンネルに入ったので後の会話は良く分からなかったがトンネルを出ると
「有難う御座います」とお母さんが言っているのが聞こえた
「よかよか オシメの濡れとっちゃろう ねんねこば降しちゃんさい ありゃ熱のあるばい
はしかやなかね どこまで行くとね」
「小倉までです」
「まだまだ 遠うかね こげん熱の有るとやけん 頭ば冷さにゃ」
「俺が水筒ば持つっとうけん 渡してやってくれ」声の主はさっき怒鳴っていた男の声だった
まわりに居た人達も心配そうだった 水筒の水で冷やすのが気持ち良かったのか赤ちゃんは間も無く泣き止んだ 小倉駅に着いたとき
「其処を開けてくれ病気の赤ん坊が降りるから」と言いながら乗り込もうとしている客にお願いしている兵隊服の男の姿に 私は何となく救われた気がした
「はよ 病院に行きんしゃい」とおばさんが声をかけた
「有難う御座いました」と何度もお母さんは言った 周りの人も「御大事に」と言った
警察官達の山分け
やっと 私の父の勤め先が決まったが勤務地が遠いので私は田舎に残り家族とは別れ別れの生活をする事になった でも 時々私は都会の家族の所に出掛けた
其の時は木炭バスに乗るのを節約して国鉄の駅まで山道を歩いた
峠から時々ノロノロと走るボンネット型のバスが見えた やっぱり うらやましかった
でも 山道を歩くと色々な事に出会ったり見つけたりもした
一番多く出会った人は買い出しの人達だったが皆無口で挨拶もしなかった
動物とも良く出会ったが殆ど キツネ ウサギばかりでイノシシやタヌキは居なかった
蛇も多かったがマムシも多くいた
マムシに噛まれて死ぬ人も居た だから 学校でマムシに噛まれたときの救護法を習った
冬でもマムシは日当たりの良い石垣やあぜ道にいたが 森の木の間から日ざしがこぼれる落ち葉のあたりにも良くいた
国鉄の駅まで四里程の道のりだから休息のため私は時々山のゆるやかに傾斜した落ち葉の上に仰向けになり寝転がった 晴れた日には高い木々の枝越しに見える空は青く白い雲が悠々と流れていた 安らいだ気持ちになった
そんな時 何となく視線を感じて顔を其方に向けるとマムシがジーっと此方を見ていたりした
鳥はメジロやカッチュウが多かったが名も知れぬ鳥も多く居た
海側からの山道を通る時は松林に松露がよく顔を出していた 金色のナメタケも時々見かけた
圧巻だったのは山の中腹に有った清水の溜まり場みたいな小さな池に芹が群生していた事だった そして 見つけた芹や松露のある場所は誰にも教えずよく採りに行った
国鉄の駅に着くと貨物列車が煙突から煙を出し 時々蒸気をシューシューと吐きながら通過してゆく姿は勇壮な感じだった
上りでも下りでも客車が着くとこんな田舎の駅でも一時的にはにぎやかになるが後はシーンとなりガランとしてしまう
私は自分が乗る予定の下り列車がを待っている間 駅の辺りをぶらぶらしていると
駅から少し離れた所にある小屋に何人かの人影が動いていた
くもりガラスだったので中の様子はよく分からなかったが
少し開いた扉から
「此れは お前んとぞ 此方の米は俺んとぞ」
「分かった」
「その干物 今日は俺が貰ってゆく」
私は自分が悪い事をした様に怖くなり其の場を離れたが
間も無くして出てきたのがヤミ物資取調べをやって没収していた警察官だった
駅の人に 「あそこで 警察官が悪いことしてるよ」と言ったら
「何時もの事だ」と はき捨てるように言った
私は嫌な気持ちで下り列車に乗った
尋ね人の時間
私はラジオから流れてくる尋ね人の時間になると暗い気持ちになった
どこか暗い感じの低い声で男性アナウンサーが
「元満州開拓団〇〇の〇〇……………」「元陸軍〇〇部隊の〇〇………………」と
尋ね人の過去の履歴を読み上げ 誰が捜しているのかをアナウンスする
私には その読み上げ方が心を込めていない様に思えた
では 尋ね人の時間にわざわざラジオの前に居なくてもよいはずなのに やはり気になった
聞いていると昨日探していた人の名前が今日は出てこない様に思った
それで 所在が分かったのだろうかそれとも亡くなってしまったのかと心配になったりもした
引揚の経験の無い人達はこの番組に全く興味が無いのかと思っていたら違っていた
家の主人はとか 息子はと言う人は少なかったが
「探しとう人の生きとんしゃあ間に行方が分かればよかばってん」等
なんとなくトンチンカンだがその当時は色々な意味で皆尋ね人の時間を聞いていたようだ
でも 私にとっては尋ねても最早出てこない人達の事が思い出された
「先に引揚げる事になってごめんね」
涙を浮かべて私に別れを告げたのに匪賊に襲われて死んでしまったミッキーさん
「若い人を先に」
と言って自分は避難せず 零下四十度の講堂で死んでいった おばあちゃん
「私は生きて日本に帰れない この子だけでも」と
日本に引揚げられるとは信じられず 子供を中国人に預けてきたお母さん
そして 引揚船の繋留されている港にやっとの思いで着いたのに
「子供を捨ててきた母親にはなりたくない」と海に飛び込んで自殺しようとした人
私は「尋ね人の時間」を聞くことによって そんなつらく悲しい満州を思い出した
今 憧れの日本に居るにも拘らず日日の食べ物の事だけで満州の事なんか忘れていた
私は命がけで引揚げて来た当時を思うと憧れの日本に居る事だけでも有難いと思った
「尋ね人の時間」を放送する同じラジオから
やけに明るいリズムとかん高い歌声が
♪♪赤いリンゴに唇よせて 黙って見ている青い空
リンゴの気持ちはよく分かる
リンゴ可愛や 可愛やリンゴ♪♪
一日に何回も流れる
リンゴなんて食っては居ないのに リンゴの気持ちなど分かるはずも無い
そんな 腹立たしい気持ちにもなった
日本は戦争に負けてからまだまだ立直っていない時期だった
満州いびり
私はどちらかと言うと農家より漁師(漁方)の子供達と親しくなった
「りょうかたのがきが なんばこきよるとか」と百姓の子が言えば
「どんびゃくしょうが えばりくさって なんや」と漁方の子が怒鳴り返す
当時 食料事情が悪かったので農家の子に対してかなりねたみも有ったと思う
漁師にもピンからキリまで有って網元と一本吊り漁師の差は天と地ほどあった
私の友達は一トン半程の小さなてんま舟で漁をして居る漁方の子供達だった
魯を漕ぎながら磯廻りの魚を釣ってたりサザエやアワビを素潜りで取ったりしていた
凪ぎの日は風の方向によっては帆をかけて近くの島まで たて網漁に出掛けて行った
「こんだ いちど 舟に乗せてってくれるごと 父ちゃんに言っちゃてん」
『よかばい ばってん そん時 船酔いのひどかってちゃ沖からもどらんばい』
「満州から帰る時の引揚船で鍛えとるけん 大丈夫ばい」
『ふーん ざーとはいかんと思うばってん よかたい』
「頼んどくけん」
『お前も ばっさら 地の言葉ばはなすごとなったなあ』
「お前達の助けてくれたけんたい」
私が学校で標準語で話していると百姓の息子達が
『こぎたなか かっこうばしくさっといて よかとこん子のごたあ言葉ばつこうてくさ
先生に引揚者ってこつで同情ばこいて ひいきされよろが あほたれ』
としつこく言い寄ってきた
今までも何回も言われたが気にしない振りをしていた
満州の内戦や引揚げの時のことを思えば大した事ではないと思っていたが
さすがに 頭にきた
「このやろう もう一度言ってみろ ただじゃすまんぞ」
『なんばぬかしよっとか』私より大きな体の連中から押さえつけられて顔を殴られた
小柄で栄養失調の私を毎日銀飯を食っている連中が腕力にものを言わせれば赤子の手を捻るようなものだったと思う そんな時
『おまえら 大勢でなんばしよっとや こげな小まかやつば なぐりくさって よか おれたちがあいてや こんかい』と漁方の子供達が助けてくれた
『青年団に言うけん みとれ』と言って百姓の子供達は逃げて行った
『私もちぃたぁ地の言葉ば使わにゃだーれもちかずかんで何時までもよそもんのまんまばい』
と言われて 満州に居た時は 中国語 ロシヤ語を生活の為とは言え直ぐに覚えた訳だから
「わかった やってみるけん」
それが 漁師の子供達と仲良くなれたきっかけだった
当時 農村と漁村の青年団も対抗意識が強かった
遠足
当時 漁方の子と百姓の子はよく殴り合いの喧嘩をしたがルールが有った
目 鼻 耳周りは平手でも拳骨でも絶対に殴らなかった
見えなくなる 臭はなくなる 聞こえなくなる
そんな場所を殴った場合は殴った方が負けだった
勿論 金玉を蹴上げる事は絶対禁止だった
もしその規則に違反すると其の場で皆が止めた
でも 集団に成ると違っていた
遠足などで他の小学校と出会うと男の子は全員相手に向かって無差別に石を投げつけ
罵声を浴びせた
先生達が「あぶない ヤメロー」と叫んだり怒鳴ったりしても無駄だった
私も夢中になって投石した 漁方の子も百姓の子も同じ小学校の仲間になった
何故喧嘩になるのか皆分かっていない様だった
でも よそ者を試すには手っ取り早い方法だったのかも知れない
私は思い出していた
満州の学校では日本の小学生同士で学校が違うからと言うだけでいがみ合う事はなかった
同じ民族同士が集団になると喧嘩するなんて聴いたことも無かった
満州は日本各地から出掛けてきた人達だからよそ者ばかりの集団だから
いがみ合う事はなかったのかもしれない
いずれにしろ日本人同士がそれも小学生が対抗意識と言うより敵対感情を持つ事は理解できなかったが仲間と投石する事が快感になり夢中になった 一対一の場合はルールが有っても
集団になると止めても駄目だと先生達も半分あきらめていた
変な話だが今まで投石が原因で大きな傷を負った子は居なかったらしい
投石ごっこが終わりになりかかった時に先生が言っていた
「この子達が何歳に成るまで日本は戦争しないかなー」
「分からんな 十年ももつかな」
「まず 確実なのは二十年はもたないって事だ 歴史が証明している」
「日本人はしょせん島国根性しか持ち合わせていないから 自分や仲間を守る事に生きがいを感じる為に わざと争いをつくる癖があるのかもしれない」
「馬鹿げているよなー」
「運動会でも部落対抗リレーや川中島の大将落としに興奮するやからだからな」
「戦地で死んだ連中は犬死か」
「可哀相だがな」
私は満州のカイゲンからサイパンに転進して玉砕して死んで行った前原軍曹や金子少尉が犬死かと言われているみたいで腹が立った
「都会の学校ではこんな事はないのになー」 遠足は終わった