第一章 私の満州国民学校風景
その一 カイゲン国民学校
杏の花咲く頃
大粒の杏の花が一斉に桃色世界を見せ
猫柳の芽吹くより早くその実がタンポポの様な綿毛となって道を転がる
平和だった
素晴しい大平原
コウリャン畑から陽が昇りコウリャン畑に夕日が沈んだ
彼方の兵舎から消灯ラッパが静かに流れた
満州カイゲン
カイゲン国民学校正門前
「早く走らんか!」20歳位の将校が命令した
真ん丸い縁のメガネを掛けた小説家の様な兵隊さんは 走った!そして,走った!
命令した将校のお父さんぐらいの歳だった
そして,私の前で,転んだ,襟章は通信隊の二等兵
通信線を巻いた丸い木枠の中の細い線がもつれて足に絡み付いていた
「バシッ!バシッ!」
二等兵の兵隊さんのメガネが私の目の前に飛んでレンズが割れた
「お父さんに謝れ!」
瞬間!!私は懇願しつつも,若い将校に命令して居た
「坊や,兵隊さんが転んだのだから私が悪いんだ,戦地だったらこんな失敗許されない」
メガネの無くなった目に涙が溜まっていた
若い将校が私に敬礼した
でも,私は若い将校を許せなかった
〈今,思う,あれが戦争の一断面だったと〉
若い将校が故郷の両親の事を一瞬思い出したのか
空には鰯雲が色づいていた
マーチョが綺麗な着物の日本の女の人を乗せて通り過ぎた
満州の春は遅い
日本の桜は此処には無い
日本の心も無くなったのか
満州の大地は広い今日も何事も無く夕日はコウリャン畑に沈むのか
零下40度
満州カイゲンの冬は寒い
透明なツララが一瞬顔を出した北満の朝日に光る
其れを防寒手袋を脱いだ手で掴む,ツララにピタッと手がくっ付いて離れない
瞬時に手の皮膚が極寒の為凍りつく
無理にツララから手を離そうとすると手の皮はベロッと剥ける
外の景色に色は無い,赤いレンガの民家だけが白い雪とツララの中に連なる
どの家の窓も二重ガラス窓,その空間を冷蔵庫代わりに使っている
外側の窓は冬の初め頃屋内のかすかな蒸気で抽象絵画を描く
日の光が幽かに当ると七色に輝く,内側の窓ガラスはペチカの御蔭で凍りつく事はない
正月 枯れ果てたコウリャン畑の彼方から
起床ラッパが聞こえて程なく兵隊さんが三人,四人とやって来る
「おめでとう」それぞれが御国訛りの年始の挨拶,酒が振る舞はれ
内地の故郷の家族や箱庭の様な日本の風景を懐かしんだ
自称で炊事軍曹と言っていた前原軍曹は日本のどの地方か定かでないが
よく通る声で民謡を歌っていた
兼子少尉はどんなに酒を飲もうと正座のまま微動だにしなかった
昭和19年の満州の正月
〈当時内地での食生活は悲惨を極めていたのだと戦後引揚げて来て知った〉
‘極寒の北満’ 国民学校の帰り大勢の寒中行軍中の兵隊に出会った
「前原軍曹だ!」
防寒帽の顔の周囲は吐く息で霜柱みたいだ
目と目だけで挨拶を交わした《何かを言いたかった様子》
子供でも,否,子供だから感じたのかもしれない
数日が経ってコウリャン畑の彼方の兵舎から起床ラッパも消灯ラッパも聞こえなくなった
〈終戦直前になって,あの部隊はサイパンで玉砕したらしいと知らされた〉
〈兼子少尉は私が国民学校から帰るのを永い間待った後よろしく伝えて欲しいと言って去ったとか〉私は感じた!深く々々感じた!内地に私と同じ位の子供が居たのだと
国民学校で習っている事と実際に起こっている事との間の矛盾を子供心にも予感した
戦争って何だろう?負けているのに勝っている様に思わないといけないのか
音楽の時間が童謡唱歌から’軍歌’だけを歌はされる様になった時
子供達は妙な恐怖心を抱いていた
〈私は後年,癌になったが,癌患者の妙な神経の敏感さに共通する心理状態に似ている〉
今日も満州の夕日は赤々とコウリャン畑を燃やして音も無く静かに沈む
《今思えば,二重窓の外側のガラスが七色に輝いた時,その中に,仏と!浄土!と
燃え盛る地獄を見たのかもしれない》
満人のおばあちゃん
満州カイゲンの春は短い
私の学校の春は校庭に猫柳が一斉に緑色に芽吹き
土盛して水を貯めて一晩で出来たスケートリンクの氷も
冬の運動会の思い出と共に解け始める
赤いレンガ造りの校舎からの眺めも白から黒褐色そして青緑に変わる
やがて,玉ねぎやニンニク畑の緑は深みを増してくる
見渡す限り緑色の地平線 山は無い
学校からの帰り道
「ショウハイ,ライライ」
満人のおばあちゃんが
チェンピンで葱の葉っぱを包み込んで手渡して呉れる
おばあちゃんが丸い鉄板に油を引きサッと一刷け水に溶いた小麦粉を塗るだけで
魔法の様に薄い香ばしい甘いチェンピンが出来る
其のチェンピンに包むと私には未だちょっと苦手な葱の葉の苦味も
懐かしい様な味に変わった
満人のおばあちゃんの作る料理はどれもこれも簡単で美味しかった
何の甘味も味も無い小麦粉に黒豚の肉とニンニクの葉っぱだけの
鉄板焼き 蒸し饅頭 塩をチョット入れて永い時間炊いた餅アワのおかゆ
私の頭を撫ぜては食べさせて呉れた
「ショウハイ ライライ」今でも聞こえてくる満人のおばあちゃんの声
ある日の学校帰り おばあちゃんが何時もの様に道端で卵を売っているのが見えた
「ショウハイ ライライ」の声が聞こえるにはまだまだ遠かった
其の時 日本の将校が満人のおばあちゃんに近付いた
二言 三言 声を交わした
一瞬 将校は卵が入ったザルを蹴上げた
「ブウマイ!ブウマイ!」〈売りません!売りません!〉とかすかに
おばあちゃんの声が聞こえた
私が駆けつけた時 将校は馬に乗り黒の半長靴で馬の腹を蹴り軍刀をゆすって去た
卵は全て割れて落ちていた
戦後五十年もうあの優しい満人のおばあちゃんは居ない
あの優しい満人のおばあちゃんが涙にむせんで言った
〈一等国民の日本が四等国民の我々を何でいじめるのか!今に見て居れ!〉
【戦争は勝者になっても敗者になっても人間を変えてしまう】
「ショウハイ ライライ」
その二 シンキョウ国民学校
満州 其処はシンキョウ
私は”超特急アジア号”でカイゲンからシンキョウに向かった
果てしない原野とコウリャン畑の真ん中を二本のレールが遥か彼方まで伸びる
すごく速いのにスピード感が無い,それに軌道の幅も広く揺れない
広大な変化の無い景色がゆっくりゆったりと過ぎて行く
〈私が,戦後日本に引揚げて来た時,日本の機関車がオモチャに見えた程
“特急アジア号”は巨大な機関車だった〉
シンキョウは大都会だった


なだらかで広い坂道が続きカイゲンでは見たことも無いビルが立ち並んでいた
緑の多い広々としたカイゲンが恋しくなった
シンキョウの’敷島国民学校’
正門前に来ると木製の銃剣を’ささげつつ’した上級生が
「歩調取れ!」と大声で号令をかける 生徒は二列縦隊で顔は真正面を見据え
左腕を肩まで挙げると同時に右足は腕に対して平行にピッシと挙げて
行進しなければならない 一糸乱れぬ行進だ
正統史観年表より

敷島国民学校は私がカイゲンで見た兵舎と同じだった
私は全てが初めての経験だった「歩調取れ!」が何回やっても出来なかった
その度に「歯を食いしばれ!股を開け!両手を後ろで組め!」
「バシッ!バシッ!」往復ビンタがとんだ
〈カイゲンの学校の正門前で殴られた通信隊の二等兵の顔が浮かんでは消えた〉
何時の間にか私は左右の区別がつかなくなっていた
何回やっても右腕と右足が同時に挙がった その度に「バシッ!バシッ!」
もう 痛みも 涙も出なかった 教室にどうやって入ったか未だに記憶が無い
上大岡的音楽生活より

席に座る間も無く「起立!礼!」の号令 私は国民服で身を固めた先生の姿を見た
‘先生’だ!何かホッとした でも カイゲンの先生とは違っていた
私は起立した時机の上から消しゴムを落としてしまった
「天皇陛下の…」其の瞬間!全員の生徒が直立不動の姿勢になっていた
私は落とした消しゴムを拾うため前かがみの格好をしていた
先生は次の瞬間 正門での上級生と同じセリフを言っていたのだと思う
私は気が付いた時’尿’を漏らして床に倒れていた
満洲少年回想記より

後で 友達に聞いた 先生は「教科書も文房具も御国の物だから大切にしろ!」
そして 友達は教えてくれた
天皇陛下と言われたらどんな時でも直立不動の姿勢を取る様にと
帰り道
広い坂道の向こうに真っ赤で大きな満州の夕日が長い長い一日の終わりを告げていた


シンキョウの国民学校
季節の変化より

シンキョウの国民学校周辺はカイゲンとは程遠い環境だった
緑が無いコンクリートのビル街で囲まれ 日本人による日本人のための町
カイゲンのように満人のオバアチャンや子供同士で話をする機会は全く無かった
私は今いくら思い出そうとしても教室で先生の授業を受けた記憶が無い
先生は冷たく感情の無い声と表情で生徒にテーマを与える
空中戦の話をしろ!陸戦隊の活躍を話せ!海軍の……
私は初め戸惑ったそして怖かった
また,往復ビンタが訳も分からず何時飛んでくるかもしれない
何とかしなくちゃ!それにしても,級長の話は上手だった
空中戦の話等あたかも自分が零戦を操縦して敵のグラマンを撃墜したかの様だった
そして,何時も日本が大勝利をして話は終わる,先生は目を細めて聞いていた
私は先生が苦手だった,でも,気に入って貰いたかった
そのためにはしっかり話さねばと思っていた
遂に,その時が来た!
私はカイゲンに住んでいた頃突然40度の熱を出した時の話をした
ある日,私は急に倒れた 〈後年急性腎臓炎だったと聞かされた〉
往診した医者は手遅れだと結論を下した
その日の夕方満人のオバアチャンがやって来て”諦めてはいけない”
ショウハイの命を救うにはこのトウモロコシの毛を3日3晩煎じて飲ませる様にと
何度も何度も母に教えて帰ったそうだ
〈その時は,トウモロコシができる時期ではなかったので以前から蓄えた物で
満人のオバアチャンにとっては大変貴重な物だったはずと母は語った〉
勿論,私は熱にうなされその間の事は何も覚えていない
私は母が3日3晩一睡もせずに医者から見離された息子のために看病してくれた事への
感謝の気持ちと満人のオバアチャンの様にどこの国でも偉い老人が居るものだと
話を結ぶつもりだった
私は先生の顔を恐れにも似た感情でうかがいながら話を続けた
駄目だ!焦った!先生の顔が引きつりそしてゆがんで見えた
今日のテーマは’我が母親’だったのに何故先生が怒ったのか分からなかった
今日は殴られなかったがその日父親が学校に呼び出されて「今は非常時!」
息子さんは反戦主義が身に付いている
銃後の家族の心得をしっかり教えて学校に送り出して欲しいと意見された
戦後,あの先生はどう変わったか?それにしても物悲しい日々が続くシンキョウの学校
〈あの時,支配者だった日本人が満人のオバアチャンに助けられる事は恥じるべき事
だったらしい。先生も軍隊教育を受け其れを信じた犠牲者の一人だったのかも知れない〉
シンキョウ国民学校・信夫君の事
満州シンキョウの赤い朝日と夕日はビルの側面を紅に染めて登り沈み一日が終る
私の学校生活も命令と服従の繰り返しだったが何時の間にか慣らされて行った
〈後年私は癌になり二回の手術を受け約1年の入院生活を経験した,入院当初は病棟仲間だった患者が死んで逝く時,患者同士で有ったのに冷淡な態度で人の死に接している人達に腹が立ったものだが,半年も経過すると一日に三人も死んで行く現場の雰囲気に慣れて無感情になった自分がいた,人間の’慣れ’は時として怖い方向に無意識に向かう〉
そんな時期に日本から信夫君が転校生としてやって来た
そして,私が経験した通りの事が次々に信夫君の身に起こった
「天皇陛下の……」全員直立不動の姿勢 信夫君は意味が分からず先生から往復ビンタ
「歩調を取れ……」足の上げ方が分からず何回もやり直し殴られた
「ゲートルを巻け!」ゲートルの絞め方が分からず直ぐにゲートルは解けて廊下に立たさた
信夫君は一生懸命だった,私は信夫君に次に起こるであろう事々を教えて挙げたかった
でも,人に教えられた事が分かってしまうと鉄拳制裁は倍になって返って来る
其の事は私が自分でいやと言う程経験済みだった,信夫君は学校帰りに私を自宅に誘た
信夫君の家はかなり遠かった,歩いてバスに乗ってまた歩いてやっと着いたと思う
其処にはビルは無く正にカイゲンの環境そのまゝだった
赤いレンガ造りの家 ペチカもあったそして庭には畑と花壇があり緑が一杯だった
「ただいまぁー」「アラ,お友達と一緒良かったわネェ」
信夫君はやはり学校の事を家では全く話していなかった
「信夫は東京生まれの東京育ちでしょう,満州は初めてなので,仲良くしてネェ」
私はお母さんに自分の学校での経験をポツリポツリ話した
それは信夫君のお父さんが自分の時と同じように学校に呼び出されるのが心配だったから
「マァ!良く頑張ったわネェ」お母さんは驚きながら信夫君の態度を観察している様子
学校からかなりの道のりだから信夫君とは色々話せたはずなのに数回言葉を交わしただけ
信夫君は自分で話す事ができなかったのだ
当時,特にシンキョウの様な学校では先生と級長は絶対だった,軍隊と同じだった
新参者は色々な方法で試され軍隊的教育を強いられた
学校には必ず教練のための陸軍将校が居た,そして校長先生や先生方を監視していた
信夫君は間も無く学校に来なくなった,そして陸軍将校も交代した
後日信夫君のお父さんが位の高い軍属だったと噂が流れた
信夫君は自分なりに特別の扱いを受けるのに’うんざり’して頑張りたかったのだろう
其の点,信夫君にでも共感できたし子供心にも’偉い奴’とも思ったが私にとっては
戦後シベリヤ行きの決まった兵隊さんが【将校の奴らめ!先に日本に逃げやがって!】
と言ったセリフが妙にダブって記憶に残っている